藤森神社 (舞鶴市行永弥加宜)
丹後国加佐郡
京都府舞鶴市行永弥加宜183-1
(社前に停め置き可能なスペース有り)
■祭神
崇道天王
牛頭天王
東舞鶴の南部、市街地外れの山間部の際に鎮座する社。最強とも言える祟り神、崇道天皇を祀ります。
◎創建は大同永年間(1521~28年)、土豪池部重房が山城国の藤森神社(未参拝)から勧請したものとされます。かつては「天王社」と称され、それは「崇道天王」を祀っていたからと。おそらく本来は牛頭天王を祀っていたからではないかと思われます。「舞鶴市史」には「行永と女布のテンノウサン(牛頭天王)が有名であった…」という記事が見えます。
崇道天皇はあらぬ罪を着せられたとして壮絶な自殺(何も食べずに餓死)をした早良親王のこと。即位をしていないにも関わらず「天皇」の称号を与えられ、丁重に丁重に鎮められています。池部重房という人物がどういう所縁があって勧請してきたのかは不明。
◎ここまでは当社の一般的な解釈。個人的思量としては、当社が東舞鶴の市街地に鎮座する、彌加宜神社の旧社地ではなかったかと考えています。当社鎮座地は「行永(ゆきなが)弥加宜(みかげ)」。「行永」は「息長(おきなが)」からの転訛とも考えられ、「弥加宜」は文字通り。
「倉梯村誌」という書によると彌加宜神社に就いて、「始め現時の行永小字弥伽宜谷に奉祀せられしが…(中略)…再遷三遷遂に現神域に奉祀せられたりとの説あれど… (以下略)」とあります。つまり遷座された可能性があるといえます。
彌加宜神社の象徴となるものは「水」「鉄」を始め「杜(森)」。通称も「大森神社」。当社名にも「森」が含まれているのは偶然ではないように思われます。当社からはほぼ真北2kmほど(綿密な方角の調査は行っていません)。方角もそうですが、古代の2kmというのもそう離れたものではなく、ましてやこれほどの大社であれば、神域内という可能性も。
おそらく遷座後の跡地に崇道天皇が勧請されたのではないかと考えます。
◎さらに別説として伊加里姫を祀るというものも。伊加里姫は天村雲命と結ばれ倭宿禰命を生んだとされます。この倭宿禰命を「勘注系図」では天御蔭神と同神としています。当社を彌加宜神社の旧社地説とする傍証になろうかと。
◎また籠神社の社伝においては、倭宿禰命(椎根津彦と同神と考える)は神武東征に大功を上げ倭国造となった椎根津彦と同神であるとしています。一方で伊加里姫は神武東征時に吉野で出会う井光姫(イカリヒメ)と同神ではないかと考えています。これらを史実とするなら当社を中心にすべてが繋がります。
*写真は2017年11月と2025年12月撮影のものとが混在しています。

2017年の参拝時に境内はとにかく荒れ放題。これでもかなり掃除をさせて頂いた状態。2025年参拝時にはとてもすっきりと美しい状態に。この記事をご覧になられたのでしょうか。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。
*一部の許可している方を除き写真・文章の無断使用や転載を禁止致します。リブログ等にてお願いします。









