池之原神社
河内国丹比郡
大阪狭山市池之原4宮山681
(P無し、周辺に停め置きしても大丈夫かと思います、秋の祭時でなければだんじり小屋前でも)
■旧社格
村社
■祭神
(不明)
日本最古とされる溜池「狭山池」の西側丘陵地、大阪狭山市「池之原」に鎮座する社。
◎「狭山池」は記紀にも記されるダム式溜池(人工池)。江戸時代には大阪市域までを含む80ヶ村もの灌漑を行っていたとか。紀では崇神天皇六十二年に、記では垂仁天皇の段に印色入日子命(五十瓊敷入彦命)が作ったとあります。
◎ところが当地は「狭山池」より高台に鎮座、その水源の恩恵には預かれなかったようで、当社周辺の至るところに溜池が築造されました。
◎創建由緒やご祭神についての資料は見当たらず詳細は不明。当社は背後の「宮山」を御神体とする神社であるかと思われます。
唯一の手掛かりは当社が元々「熊野神社」と称されていたこと。社殿背後の「宮山」の、さらに背後は「高野街道」。その街道を少し登ったところに観音院という仏教施設があり、これは行者ゆかりの施設であるとか。ここを起点に天野山金剛寺へと向かう「天野街道」が分岐しています。境内には熊野権現が祀られているらしく(未確認)、おそらく当社もそれら行者がもたらしたものであろうかと思います。
◎明治の合祀令により三都神社(今熊神社)に合祀されていたものを、昭和57年に旧社地(現社地と同じ)に復社したもの。古社の面影を残すように見えるのは、神霊が宿るに相応しい「宮山」のイメージがそうさせているのでしょうか。
◎当地は「岩室村」であった時期があります。これは隣村である和泉国大鳥郡岩室村と同じもの。この辺り一帯は壮大な規模の土師器製作地帯。「岩室」の地名由来は山の岩間の洞穴、土師器を保管した場所ではないかと考えられています。背後の「宮山」にもそういったものがあったと思われます。
*写真は2019年4月と2023年4月撮影のものとが混在しています。








