羽束師坐高産日神社
(はづかしにますたかみむすひじんじゃ)
山城国乙訓郡
京都市伏見区羽束師志水町219-1
(P有)
■延喜式神名帳
羽束師坐高産日神社 大 月次新嘗 の比定社
■旧社格
郷社
■祭神
高皇産靈神
神皇産靈神
当地を拠点とした泊橿部(はつかしべ =泥部)たちが奉斎していたと考えられる社。
◎紀の垂仁天皇三十九年に「泊橿部等(他の9品部部略)并せて十箇の品部もて五十瓊敷皇子に賜ふ」とあり、また「令集解」には「泥部とは古の波都加此の伴造を云ふ」とあります。
つまり垂仁天皇の御子である五十瓊敷皇子に、職能集団である品部(とものみやつこ =伴造)を十集団授けられたと。その十集団のうちの一集団が「泊橿部」(=泥部 =波都加此)であると。その一族が拠点とし、地名由来にもなっています。
これは大刀一千口を作らせた時のもので、「泊橿部」は鉄製品、特に武器を作る職能集団であったのではないかと考えられています。
◎創建は雄略天皇二十一年(477年)とされていますが根拠は不明。ただし紀の記述を鑑みるなら、その頃に創建されたとしても不思議はなく、あるいは祭祀が行われたのはさらに遡ることができるかと思います。
◎当地は「桂川」を始め多くの川が合流する要衝。「羽束師の森」と呼ばれ古くから開けていたらしく、泊橿部が拠点とする前からあらゆる「産霊(むすび)」の神として信仰があったのかもしれません。
◎続紀には大宝元年(701年)に「勅 山背国波都賀志神等 (他略) 神稻 自今以後 中臣氏に給へ」とあります。「産霊」の神を祀ったのはこの時であるという考えもできるかと。
◎ご本殿の横にはずらりと鎮座する境内社がありますが、これらは大同三年(808年)に斎部広成による勧請。中臣氏に取って替わられる前は、斎部氏が祭祀に関わっており、復権を図ったものかと考えてみたくもなります。
◎別説として竹野姫の御霊を祀ったとするものも。また土師部(はじべ)が奉斎していた社であるという説もあるようです。




