飯役社
(いひやくのやしろ)
丹後国与謝郡
京都府宮津市中野217
(P有)
■祭神
御食津命
籠神社の一の鳥居より西方500mほど、「阿蘇海」(天橋立の西側の内海)に面して鎮座する社。かつての「府中村」(現在は宮津市中野)。
◎「飯役社」は元々は「印鑰社(いんやくのやしろ)」のことであったとされます。当地の辺りは丹後国の国府があったとされる地。その国衙(役所)の「印」と「鑰(カギ)」が収納され、それをもって在庁官人の守護神として祀られたのが「印鑰社」。
◎丹後国は和銅六年(713年)に丹波国より五郡(加佐郡・熊野郡・竹野郡・丹波郡・與謝郡)が分割され誕生しています。
国府はずっと当地であったのかどうか、また正確な所在地は今のところ分かっていません。一ノ宮 籠神社のすぐ側でもあり、当地周辺にあったとするのは妥当なところでしょうか。「府中」といった地名が残り、国府跡を思わせる当社が鎮座、西方には国分寺があったことなどがその証。
◎ここまでは当社の一般的な紹介。ところが籠神社の先々代宮司 海部穀定氏は当社についてまったく異なる由緒を挙げています。元々は「吹井社(ふけひのやしろ)」であったとし、当社は吹井社と印鑰社とが合祀されてできた社であると。
◎これは古代丹後国を探る上で甚だ貴重なもの。この吹井社(「ふけひ」はいろいろな漢字が宛てられる)は、「うけひ」(誓約)からの転訛ではないかとしています。
「天橋立」のある若狭湾のうち、この周辺辺りを「阿蘇浦」(阿蘇湾)と呼んでいますが、かつては「吹飯浦」であったと海部穀定氏は語ります。和泉国日根郡の海に「深日(ふけ)」と呼ばれる地があり(参照 → 岬町深日の国玉神社)、また「福井」等も関連がありそうにも思います。
「うけひ」とは、神に誓うことで吉凶や神意を伺うこと。祭政一致の世、とりわけ重要な政策等は「うけひ」を以て決められていました。天照大神とスサノオ神との間の五男三女神誕生の神話、大山祇神によるニニギ神への磐長姫とコノハナサクヒメの入嫁譚、他にも神武東征神話や垂仁天皇、神功皇后の時世にも「うけひ」が記されます。
◎その吹井社について海部穀定氏は、豊宇賀能咩神が「比治の真奈井原」より通って与佐宮大神(眞名井神社)へ御饗(みあへ)を奉った跡であるため「飯役大明神」と称されるとしています。いわゆる「飯盛」の跡地であると。
◎さらに同氏は社家相伝の秘伝として、眞名井神社を「奥宮真名井原」、当社を「御饌殿真名井原」と称していたとしています。
現在はひっそり佇む小さな社ですが、丹後の原初に迫る秘められた社です。
*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。
*一部の許可している方を除き写真・文章の無断使用や転載を禁止致します。リブログ等にてお願いします。







