高向神社 (河内長野市高向)
(たこうじんじゃ)
河内国錦部郡
大阪府河内長野市高向291
(P有)
■祭神
素盞嗚命
蛭子神
天児屋根命
保食神
白山姫命
菅原道真
[合祀] 武甕槌命 経津主命 比咩大神 大己貴命
雄壮かつ奇抜なご本殿の構造がひときわ目立つ社。大阪府南部郊外、河内長野市「高向(たこう)」に鎮座。当社周辺は旧石器時代から中世までの複合遺跡「高向遺跡」が発見されています。
◎創建由緒等については江戸末期に所蔵の古文書をすべて焼失、不明となっているようです。
木造の女神、男神(牛頭天王)の神像が伝わっており、女神像の製作年代から平安末期から鎌倉辺りには創建されていたと推定されます。
◎当社を奉斎したのは高向氏(後に高向史氏)であろうとされます。応神天皇の御宇に、阿知使主(アチノオミ)・都加使主(ツカノオミ)父子が率いて渡来帰化したという「七姓漢人」の一、高向氏(後に高向史氏)。
この子孫に遣隋使・遣唐使に派遣された高向玄理(タカムコノクロマロ)が知られます。第36代孝徳天皇の御宇には国博士に任ぜられ、国政を扱うブレーンとして君臨。
◎一方で「新撰姓氏録」に、「右京 皇別 高向朝臣 石川同氏 武内宿祢五世孫猪子臣之後也」と見える氏族も。第25代継体天皇の出身地とされる越前国坂井郡に鎮座する高向神社(未参拝)はこちらの方。
こちらは蘇我氏の裔とされますが、こちらも河内国錦織郡「高向」を本拠とするとされ、同所に「高向」を名乗る氏族が二氏。別氏族とされますが果たして本当に別であるのか。
◎江戸中期には五社大明神と称されたらしく、当時は天満大自在天神、八幡大菩薩、牛頭天王、稲荷大明神、天照皇大神宮の五柱であったとのこと。
◎現在のご本殿は慶長十三年(1608年)のもの。「高向神社祭礼絵馬」とともに市の指定文化財に。また河内長野市ではもっとも早くだんじりが始まったとされ、「日野獅子舞」という舞が奉納されますが、こちらも市の無形文化財に。
*写真は2018年10月と2021年11月撮影のものとが混在しています。










