室生龍穴神社


大和国宇陀郡
奈良県宇陀市室生1297
(P有)

■延喜式神名帳
室生龍穴神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
高龗神
[配祀] 天児屋根命 大山祇命 水波能賣命 須佐之男命 埴山姫命


宇陀郡「室生」の奥深い山中、秘境といえるところに鎮座する社。近くに五重塔で有名な室生寺があります。
◎一帯は「室生山」(標高621m)を中心に神の坐す山として崇められていた一大聖地。「室生(むろう)」は、「神の坐す聖なる山」という意味の「御諸・三諸・御室(みもろ・みむろ)」を由来とするものと言えようかと思います。
美しい円錐形の山容を為す「室生山」山頂辺りは、いわゆる「太陽の道」とされる北緯34度32分。つまり「三輪山」の真東であり、さらに当地から真東は伊勢斎宮跡。太古より太陽信仰がなされていたと思われます。
◎山中の深淵な地、非常に神寂びた雰囲気ですが、奥宮とされる吉祥龍穴が「室生山」山中のさらに奥深い地にあります。こちらが本来の御神体。そしてその少し手前に「天岩戸」という巨石が座し、祠が設けられています。
◎当社はその社名通りに龍神を祀る社。おそらく上古からの聖地に高龗神、そして仏教の善女龍王神が被さったと思われます。拝殿の扁額には「善如龍王社」と書かれています。
麓の集落、或いは大和広域で旱魃(もしくは洪水)が起こり、それは山中の龍神が暴れているということで飛鳥から平安時代の頃に龍神を鎮める祈りが捧げられたことと思います。
◎当社と密接に関わるのが室生寺。そちらの創建に関わる根本史料として、「宀一山年分度者奏状」(べんいちさん ねんぶんどしゃ そうじょう)という書の前文に、室生寺の歴史について記しているとWikiにはあります。

━━宝亀年間(770~781年)、時の皇太子(山部親王、後の桓武天皇)が病を得た際、浄行僧(行いの正しい僧)5名を「室生山」に派遣して延寿法を修させたところ効験があった。その後、賢璟は山部親王(または即位後の桓武天皇)の命で「室生山」に寺を建立したという━━

◎室生寺という仏教施設は病気が完治したことから、当社の神宮寺として創建されたようです。この施設の鎮座地は御神体山「室生山」の南側手前、背後を「室生山」として建てられたとのこと。そして「室生山」山中の「龍穴」が当社御神体であり、奥宮とされています。

◎その仏教施設には大日如来の宝珠(民間信仰では日輪を仏とし、神を天照大神とした)、帝釈天(インドの太陽神)の曼陀羅の板絵、大神宮御正体(鏡)など、「太陽信仰」を想起させる遺物が多くあるようです。

◎室生龍穴神社、奥宮の吉祥龍穴、いずれにしても谷地にて奉斎されています。「室生山」とで、陰陽の対比がなされていると考えることもできそうです。

◎桓武天皇が皇太子(山部親王)であった時に重い病にかかったのは、宝亀八年(777年)十二月と「日本紀略」にあります(吉祥龍穴の記事参照)
◎この山部親王の病については少々気になる説が展開されています。冬に大旱魃が起こったこと、大地震が起こった可能性があることが「水鏡」から伺えます。また山部親王はこのあと即位しますが、皇位継承の最有力候補であった井上内親王に有らぬ罪をかけて幽閉したと考えられています。
◎その井上内親王は大和国宇智郡(現在の五條市)で幽閉されたまま最期を迎えます(御霊神社 本宮の記事参照)。そこに起こった旱魃と大地震、まだ存命中であったとはいえすでに祟りを恐れて、精神病にかかったのではないかというもの。通常なら都(当時はまだ平城京)から見て裏鬼門の方角に井上内親王を幽閉したので、表鬼門の「都祁(つげ)」の辺りで祈りを捧げるということになりそうなものですが、なぜか方角は南東であることに疑問はありますが。室生寺がちょうど「太陽の道(レイライン)」上にあるからでしょうか。
◎創建時期は不明。当社らしきものが文献における最初は、「日本紀略」に弘仁九年(818年)に「吉祥龍穴」に祈雨がなされたというもの。
つまりこの当時に神社としての体裁を成すものが存在しなかったということ。「延喜式神名帳」が編纂された延長五年(927年)の間に、創建されたとみなせます。
◎当社の雨乞いについて「室生山年分度者奏状」というものには、天応元年(781年)~承平七年(937年)までに、勅使や国司が29度も「龍穴神」に派遣されたとあります。
◎奈良の「猿沢池」に身を投じた采女が龍神と化して当地にやってきたという伝承も(釆女神社の記事参照)。これはおそらく、病の山部親王の平癒を祈ったのが興福寺の僧侶であったための後世の附会だと思います。
◎また「大和志料」は白岩神社(榛原赤埴)の社記や、赤埴家の旧記などから以下の説話を載せています。
━━大国主命の妻である須世理媛命が宇陀の「室生」の岩窟に入り、五百引の石で岩戸の口を「赤埴」で窟をふさいだ故事により、「赤埴」の名が起こった━━
この岩窟というのが室生龍穴神社(吉祥龍穴のことと思われる)で、延暦九年(790年)に白岩神社(榛原赤埴)へ遷座され「赤埴大明神」と称したというもの。ただし須世理媛命と雨師(中国の雨を司る神)との関連は無いとしていますが。
◎配祀神に関しては明治の合祀政策に基づく、明治末年の合祀によるもの。
◎なお「海神社(かいじんじゃ)」という同名社が室生三本松室生口大野にそれぞれに鎮座、いずれも当社より善女龍王を勧請したとされています。



*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



鳥居の道路向かいに祓所があります。

御手洗川

御手洗川縁の御神木。神事の祓詞はこちらに対して行われるという情報も。


積雪時の参拝。


扁額は「善女龍王社」。

うっすら雪化粧のご本殿。

連理の杉

「而二不二(ににふに)」の御神木。樹高30m、樹齢1000年。樹名は「二つにして二つではない」とあり、「一つのものを二つの面から見よ、二つの面があっても本質は一つである」という意味。



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