大和神社
(おおやまとじんじゃ)
大和国山邊郡
奈良県天理市新泉町星山306
(P有)
■延喜式神名帳
大和坐大國魂神社 名神大 三座 月次相嘗新嘗 の比定社
■社格等
二十二社(中七社)の一社
旧官弊大社
現在は別表神社
■祭神
日本大國魂大神
八千戈大神
日本(倭)の國魂を祀るという壮重な社。
◎創建由緒は紀においてはっきりとしています。崇神天皇六年に疫病が全国に蔓延、世の中が乱れ未曾有の大危機が訪れます。天皇はあらゆる原因を探り手を打ちました。その一つ、宮中に天照大神の御魂と大和大國魂が同床にて祀られているのは畏れ多いとして、別々に遷し祀ることとなります。
◎まず天照御魂は豊鍬入姫命(トヨスキアリヒメノミコト)を斎主として「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に遷され、各地を転々としながら最終的に伊勢に鎮まりました。途中で倭姫命にバトンタッチされています。
◎一方、大國魂は渟名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)を斎主としましたが、髪が抜け落ちやつれてしまいリタイア。
翌崇神天皇七年に倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)が「市磯長尾市(イチシノナガオチ)をもって、倭大國魂神を祀る主とせば必ず天下平らぎなむ」と夢で神託を受けました。百襲姫は二度も同じ夢を見ますが、二度目は大水口宿禰や伊勢麻績君(イセノオミノキミ)も同じ夢を見ました。結局、市磯長尾市によって祀られることになったのが当社の創建説話。
◎この記述には多くの留意点があります。まず天孫系の天照大神と国津系の日本大國魂神は、やはり相容れないものとして捉えられていたということ。崇神王朝をどう見るかによっても異なりますが。
次に創祀時の鎮座地が不明であること。現在よりは東の方であろうことまでは分かっていますが、今後の調査を待たねばなりません。以下に記します。
さらになぜ市磯長尾市を斎主としてあてたのかも謎。神武天皇東征の際に瀬戸内海で従軍した椎根津彦神を祖とする氏族。つまり大和国の在地氏族ではない者が、日本大國魂神を祀るという奇妙なことに。
他にもなぜ一度目の神託で行動に移さなかったのかなど、不可解な点も多くあります。
◎ご祭神についても諸説混沌としています。日本大國魂神を大國主神と同神とはしていますが、決して受け入れられるものではありません。また他の二柱についても古来より諸説あります。
◎この日本大國魂神を椎根津彦神に宛てる考えも。神武東征の大功により初代倭国造に任命されています。また上述のように裔である市磯長尾市が初代神主に任命されています。
記紀神話による事績からは「日本大國魂神」と称されるには不相応。「勘注系図」においては彦火明命四世孫である倭宿禰と同神としていますが、これをもってしても天照大神と並び立たせるには不十分。大きな謎を秘めているのかもしれません。
◎これについては、椎根津彦神が実は真の日本国大王であったという自説を展開。以下の2記事にて紹介しています。
◎当社旧社地については古来より頻繁に議論されてきたものの不明、定説も無し。「神地を穴磯邑(あなしむら)に定め、大市の長岡岬に祀った」とされています。以下、谷川健一氏による「日本の神々」においての説を上げます。
※穴師神社説
※長岳寺説
※狭井神社の西、丘陵突出部説
※檜原神社の西、丘陵突出部説
※「巻向山」山崎説
◎当社に大きな関わりがある大水口宿禰を祀る水口神社が南東3kmほどに鎮座します。そちらの旧社地として地元民に伝わる地があります(水口神社の記事参照)。それは谷川健一氏が上げている説の中間地点に当たる場所。
個人的にはその社がかつて当社の境内社であった可能性も考えています。したがってこの一説も加えたいと思います。
◎境内には媛蹈鞴五十鈴媛命を被葬者と伝承される、星塚古墳があります。これが史実だとするのであれば、この霊地に当社を遷座させたと考えることも可能かと。
なお第二次世界大戦の際に当社の分霊を戦艦大和に祀ったようで、巨大模型などを納めたギャラリーが境内に併設されています。
◎現在も規模はそこそこ大きいものの、寂れた古社の部類に入ると思いますが、かつては皇大神宮に次ぐ規模を誇る社であったようです。もっと見直されるべき社であり、研究が進むことを期待します。
■境内社
◎高龗神社
■関連社
◎艮の固め … 素戔嗚神社(佐保庄町)
◎巽の固め … 素戔嗚神社(成願寺町)
◎坤の固め … 素戔嗚神社(新泉町)
◎当社武器庫 … 素戔嗚神社(兵庫町)
■その他関連記事
*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。
















