嗛間神社 (ホンダワラの宮、神武天皇社境外摂社)
(ほほまじんじゃ)


大和国葛上郡
奈良県御所市柏原字屋敷327
(P無し、神武天皇社より50mほど南)

■祭神
吾平津媛命(アヒラツヒメノミコト)


神武天皇が即位したと伝承される「橿原宮」の候補地の一つ、神武天皇社の境外摂社。南50mほどに鎮座しています。
◎神武天皇は即位三十一年に「掖上嗛間丘(わきがみのほほまのおか)」に登り、国見を行い「妍や(あなにや) 国を獲つること 内木綿(うつゆふ)のま狭さき国といえども なお蜻蛉(あきつ)の臀呫(となめ)せる如くあるかな」と詠んだとされますが、その「嗛間丘」の候補地の一つが神武天皇社眼前の「本馬丘」(嗛間丘)
◎当社は神武天皇の最初の妻、吾平津媛が祀られます。紀には日向国吾田邑の人とあり、神武天皇が東征前にそこにいた時に妃としたと記されます。おそらくは阿多隼人の一人であったかと思われます。
◎神武天皇は東征し大和国を平定。大物主神の娘、媛蹈鞴五十媛命を皇后に迎えました。吾平津媛は敢えなくこの地で侘び住まいをしていたとされます(日向に残ったとも言われる)
この村では嫁入りの行列はこの前の道を通ってはならぬ、どうしても通る際は祠に幕を張るというしきたりが近年まであったようです。吾平津媛の怨念が夫婦の縁を呪うとのこと。「サワリの神」(「障りの神」か)と呼ばれ、ひっそりと侘しく鎮座しています。


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。




哀愁の漂うお社。どこまでが史実であるのかはさておき、神武天皇社参拝の際は必ずこちらまで足を伸ばさねばならないという念にかられます。

かれこれ20~30度ほどの参拝を重ねていますが、境内は常に大変美しく整えられています。




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