小杜神社
(こもりじんじゃ)


大和国十市郡
奈良県磯城郡田原本町大字多字木ノ下272
(Pあるが入口不明、多神社に停めて付近散策がオススメ)

■延喜式神名帳
小社神命神社

■旧社格
村社

■祭神
太朝臣安萬呂


多坐弥志理都比古神社(以下「多神社」)の社前道路を挟んで向かいに鎮座、往古は多神社の境内の中だったと考えられています。
◎「古事記1300年記念事業」で社殿も美しく建て替えられ、付近もきれいに整備されました。殺風景な感じもしますが、大和の古社のこと、いずれ荒れ果ててしまうのでしょうか。
◎ご祭神は古事記編纂で有名な太安万侶。多氏の末裔。当社の東方に太安万侶の墓とも言われる小円墳があるとのこと。
ところがそもそも古事記が世に知られるようになったのは、本居宣長の功によるもの。もちろん太安万侶が世に知られるようになったのも同時期であり、ましてや式内社になることなどあり得ません。
◎「多神社注進状」という書には、「樹森神社瓊玉戈神命」と出ているようです。この「樹森」というのが「小杜」のことであり、本来の祭神は「瓊玉戈神命」であったということに。他に表れる神名ではなく不明、その神名から祭祀に関連する神であったかと思われます。
◎その「多神社注進状」の裏書で「社司多神名秘伝」というものには、「春日部郡坐大社神社と同名異体である」としています。
この「春日部郡坐大社神社」とは、河内国讃々良郡(現在の寝屋川市)に鎮座する式内社 大社御祖神社(「式内大社 高宮神社」の奥宮)のこととされます。ところがこの社と当社とを結びつける史料は見当たりません。
◎発想を飛躍することが許されるなら、秦氏が関与しているのではないかと考えます。当地の北方は秦氏が拠点としていた地。氏寺であった秦楽寺やゆかりの社、池坐朝霧黄幡比賣神社岐多志太神社が見られます。或いは村屋坐彌冨都比賣神社も関係する可能性も。
また大社御祖神社高宮神社の隣の茨田郡も秦氏ゆかりの地。当地もかつては秦氏が拠点としていたものの、山城国太秦に拠点を移した後に
高宮村主(こちらも秦氏の関連氏族を)が入植したと考えられています。
◎この秦氏のうち、仁徳天皇の御宇に「茨田堤」を造ったとして知られる茨田宿禰が、多氏の祖神である神八耳井命の弟の彦八耳井命。どうやら両社には茨田宿禰が関わっているのではないかと推測する次第。讃々良郡の「大社」に対して、当社の「小社」とが対応しているように思うのですが。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。