どうやら自殺だったみたいだ
お気の毒にと思う反面
やっぱりなという思いもちょっと
遺書絶筆も用意され
周辺にもそういう意向を
漏らしていたみたいだから
ほぼ確定的だよね
衝動的なものじゃないでしょ
長時間じゃないけど
何度かお話ししたことがある
母方のばあさんが寝たきりに
3年後に死んだんだけど
それを見ていて
医療というのはつまるところ
『管理された死』ではないのか?と
私が感想を言ったわけです
ひどく共感と言うか同意と言おうか
今考えればなんだけど
そういう話になったんだ
『死』を『管理』する
『欲望の延長』としての近代
現代医療とはその
成れの果てじゃないか?と
そういう話になったんで
かつてそれはできなかった
もうどうしようもない不可抗力
本人の意思と無関係に
残酷な形で命を奪っていく『死』が
まだ日常にあった19世紀
19世紀の代表的な
『死の病』は『結核』
治療法がなかった
完治はしない病気だったが
死が訪れるまで時間が与えられる病気
19世紀の特にヨーロッパはまだ
ロマン主義が幅を利かせている時代
十分に説得力があったわけね
ヨーロッパのキリスト教文明が
極盛期を迎えた
そういう時期です
ヨーロッパ人的
ヨーロッパ文明的価値観というものが
最もピークに達したのが
1877年前後だと思うけど
当時と現在と
似ているようで違うのはそこなんで
まだまだ『死』は
克服されていなかったわけね
管理できるものじゃなかった
しかしキリスト教文明って
基本的に『死に意味がある』っていう
文明なわけな
肺結核で夭折した天才って
いっぱいいますよ
椿姫のモデルみたいに
若くして散った人も多い
じゃ彼らが救いがなかったか?
というと全然そんなことはないので
そこで出てくるのが
『愛』だったわけね
『愛』と『死』
ヨーロッパ文明最終ピーク
そこで盛り上がった
というか燃え上がったわけだ
『カルメン』でも
『トリスタンとイゾルデ』でも
そこんとこテーマでしょうが
『愛』と『死』
ゴーダマ・シッダールタみたいに
悟りが開ける人間はたくさんはいない
しかし『愛』によって『死』に
意味を与えるということは
誰でもやろうと思えば
できなくはない
芸術家がそれを煽ったのは
19世紀最終25年だったと思うんですよ
それはヨーロッパ文明最後の徒花
20世紀に入る
世界大戦が二度起きました
そこで特にヨーロッパ人が見たもの
おびただしい数の『無意味な死』です
誰が強弁したって意味なんかない
機械による大量殺人
機械による大量生産のネガ
第一次世界大戦をもって
『キリスト教文明』ってのは終わったんで
それ日本であまり言われないでしょ?
『死ぬことに意味を与える最後の砦』が
『キリスト教』だったんだけど
もうもはやそこで
何の救いにもならなくなった
彼らの文明の
価値観の根幹が崩壊した
フリードリヒ・ニーチェが
予言していたことだった
『神は死んだ』
『キリスト教は人類史の汚点』
脳梅毒で精神崩壊するまで
そう言っていた人です
一方でニーチェは
『イミの贋金づくり』
間違いなく現れるから警戒しろ!
そう言った
圧倒的な悲惨な事実を前に
『キリスト教文明』がもはや
用をなさなくなったその時
アドルフ・ヒトラーが現れた
ヒトラーを巨大な政治現象と見るのは
誰でもやることだし簡単なこと
しかしヒトラーという人間が
キリスト教文明を滅ぼすために現れた
ある種の『反キリスト的人間』ね
こういうやつが確実に現れるだろう
ということをニーチェは予測
しっかり本に書いてますよね
一旦滅んだ『死の意味』
これに偽の値打ち・価値を付与する
『意味・イミの贋金つくり』
とはそういうこと
ヒトラーはそれができたから
あれだけ多くの有為なドイツの若者を
死に追いやることができたわけね
これを経済学的生産管理の面だけで
とても表層的な見方だと私は思います
左翼の連中がやることね
それだけで人間は動きません
『イミの贋金づくり』を見破り
『死』そのものから逃げずに
自分なりに意味づけを行う
すると現代医療というものが
現代的欲望体系の究極の姿
ということは
どうしても目についてしまうんですよ
なんでもコントロール下に置こうとする
それが現代文明と言うか
機械工業化文明の究極的な欲望です
そこには幸福か不幸かなんていう
価値判断が入り込む余地がない
ただ生きている
生物学的な生死と
人間としての生死は違います
私の祖母は完全に植物状態で
3年間生きてましたけど
人としては死んでいたわけです
家族とそして厚かましいようだけど
社会が無理やり生かしていた
それだけですよね
これは人を活かす医療ではない
『管理された死』にほかならない
私がそう申し上げたところ
ひどく共感してくださいました
100%同感だと
『保守』というもの
つまるところいかなるものなのか?
磨かれ研ぎ澄まされた価値観がない
価値判断能力がないところ
『保守』は成り立たない
それを持たぬ者がいくら
保守ホシュいったところでそれは
『有害無益』でしかない
『保守』は『知識』ではなくて
『知恵』である
『知識』は移植可能だが
『知恵』は100%は移植できない
勝手にそう申し上げたんです
だいたい正しいと思うけれど
私は学者なので
知恵であっても定義化しなければと
おっしゃってましたね
そうしたことども考えれば
人間としてお気の毒だと思う反面
多分あの頃から考えておられたこと
ニーチェとヨーロッパ文明にしても
前から書いておられたわけだし
完全理解されていた
納得までいったかどうかわからないけど
これもありなのかな?と
ただこれを理想化したり
褒めそやしたりすることは
故人の意思に反すると
価値判断の唯一化
それを最も憎んでおられたかたなので