狂躁亭日乘・音楽を聴く作法17011660 | おととひの世界

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ノウハウというよりは作法か?

茶碗ひったくって飲んだって
別にいいわけだけれども
作法あっての点前
それしっとかないと
そこから先に進まないって
事があるでしょ?

学問をやる場合でも
もちろん人文系もサイエンスも
それをきっちり教えておくって事が

学校教育ってものの
大事な役割だと思うんですよ
しかしそれを教えてないのね

一流の大学と言われるところいっても
それを教えられる人って
それほどたくさんいないんだよね

義務教育も現在
日本の高等学校で行っているところの
高等教育さらには大学教育も

実際に教えてる時間て短いし
学習塾みたいなものまで含めても
たかが知れてるよ

しかしここをどう理解し
味わって先に進んでいかなければ
ならないか?

これを教えるのは
とても大事なことだし
それを知らないとそこから先

伸びていくことができない

これって学問体系を
教えるだけだったら
教科書を覚えるだけでもできる
わけだけど

ここのところをどう考えるかとか
どう感じるかとかいうことまで
いちいち教えてもらおうと思ったら

本当はつきっきりで
教えてもらうのがいいわけだ
そういうわけにいかない

かつてはそれを埋めるために
徒弟制度みたいなものがあったわけです

あれはそのためのものだよね

知識を覚えるんじゃなくて
その師匠の感じ方物の考え方を
全部立ち居振る舞い
さらには言動までを
真似することによって学んでいく

ポランニーが言うところの
暗黙知の次元とまでは
いかないけど

それに近いところまで
教えてもらえる

これはネットだと
ちょっと難しいよな?

師匠について学ぶってのは
大体そういうことなんだよね

これって人文系だけじゃなくて
サイエンスでもそうだったみたいだよ

父親のアメリカでの師匠は
アメリカ科学アカデミーの
大重鎮だった人で

物静かで
ギラギラしたところが全くない人
だったけど

ともかく頭がキレる事
さらには片言隻句を聞いただけで
これが何を意味しているか?を
パパッと理解できる
すごい人だったよ

それは専門分野のみならず
芸術の分野でもそうでした

あのポール・フローリーが
あの人の前ではおとなしかったって
言うからね

あの先生の師匠の世代
CHEMISTRY・化学の分野で
最も進んでいるのは
ドイツだったわけです

だからアメリカ人でも
見込みのある若者はほとんどが
ドイツに留学した

ところが入ってみると

およそ学問をやってる
雰囲気ではなかったと

完全に徒弟制度

実験室に椅子が全くない
白衣を着て24時間たって仕事をやるのが
科学者だと言われていた

あまり喋っている風もないし
師匠も教えてくれない

やたらにおっかなそうな顔をして
パイプをくゆらせている

それでアメリカから来た留学生が

たまには教えてくださいませ

みたいなことを言ったら
そのドイツ人奥から
ガラスの塊を取り出してきて
ポンと置いた

それだけ

これどういうことだ?と
周りの奴に

するとドイツには
マイスターがいるから
つまりあらゆる分野に
免許を持った職人がいるから

街のそういう奴の所に行って
そのガラスの塊で
自分の手で試験管なり
フラスコなりを作ってから来い
と言っていると

それが済んだら
少し教えてやろうと

ドイツでさえそんな感じだった
ネットで情報だけパパっと抜いて
なんて要領のいいこと
虫のいいこと考えてる奴は

最初から門前払い
学問を甘く見るな
それで終わり

今からそうやれって
言ってるんじゃないんですよ
それ確かに知識情報も大事です

しかし物事には
そういうことでしか
身につかないものたくさんある
って事言いたいんですよ

ここでやっと話が戻るけど

本来ならば大学が
そういうところだった

ところが情報じょうほうって
大声で言ってる最先端の人こそ

大学の先生ですよね
私は大学のジサツだと思うよこれ

結局そうなるまでに
つまり大学の先生になる前に
そういう経験をしなかったということ

もっと言えば
そういう人達は

とてつもない師匠に
出会うことがなかった人なんだよ
何かエッセンシャルなことだけ
抜き取ればいいと思っちゃうわけでしょ?

自分と師匠と背比べをやって
あーこれだったら自分も
追い越せるかも?と
思っちゃうんだろうね

何事も師匠選びってのは
とても大事で

そういう人
自分の師匠に選んではいけない
と思います

これは絶対かなわないなと思う師匠
1人持っていなければならない

そういうお師匠さんからは
結果を出すことよりも

その結果にたどり着くまで
どういう態度で
どういう感じ方物の考え方を
普段からしなければならないか?
ということしか学べないんだけども

それが実は最も大事なことなんです

日本の大学教育が
ダメになっているとしたら
そういう人がいないからだろうね

その意味では
京都大学に湯川秀樹先生が
おられたことはとても大きかった
と思います

湯川先生は江戸時代以来続く
有名な漢学者の家系なんで

お兄さんは貝塚茂樹先生だったしね
2つ3つのころから
漢文の素読をやっているわけ

ヨーロッパのものの考え方には
『オッカムの剃刀』というやつあります

中世に実在した
オッカムのウィリアムという人が
言い出したこと

いくつか仮説がある場合には
もっともシンプルなものが正しい
という経験則です

ところが湯川先生は
それに従わなかった
孟子の教えに従って考えていたんですよ

だから彼らが決して考えないことを
考えて中間子理論に至ったわけね

たんなるホンだけ勉強してる
要領人間だったら
そうならなかったと思うよ

父親なんか昭和1ケタだしさ

軍国教育を受け
海軍兵学校の後京都大学でしょ

戦前の旧制高校教育
みたいなものは受けていないんだよね
だから根本的にインテリとは違う

アメリカにそういう師匠がいたおかげで
30近くになってからだけど
リベラルアーツ教育ってのは
本当に大事で

どんなに専門分野いっても
そのあたりの教養がちゃんとないと
ダメだよということ

叩き込まれている

その先生とは何度も
話をしてるんですよ

そのアメリカの大先生と私もね
あの大先生はご夫妻で
ピアノがとても上手で
歌も上手だった

どんな音楽でも少し話すと
交響曲でもオベラでも
ピアノで弾いてみせたからね

そんじょそこらの
プロの音楽家よりはるかに上手だった
その先生に言われたんだけど

音楽勉強するんだったら
ピアノだバイオリンだよりも
作曲を勉強しろと言われた

それもとびきりの作曲の師匠に
ついた方がいいと言うんだよね

そしてその先生がどう考え
物を作っているか?を
身近で見ることが大事だと

ずいぶんまた話が脱線したけど
実際演奏家で本当に独創的な人は

作曲やってた人なんだよね
フルトヴェングラー
バーンスタイン
ブーレーズ
マルケヴィッチ

プロパーの演奏家ではないよ
全員イッパシ以上の作曲家だった

別にトスカニーニやカラヤンが
悪いと言ってるんじゃないんだけど
作曲の経験がある人は
演奏の自由度が全く違っている

それは子供の私でもわかったから

例えば『レコード芸術』みたいな
音楽雑誌があって

評論家が書いている月評なんかよりも
評論家も含めたいろんな人がやっている
鼎談があって

その中で
作曲家の林光さんが言っていることが
とても参考になったね

音楽を聴く上で
どういうことに注意したらいいか?
ってことはほとんど
あの人に学んだ気がしますよ

大河ドラマの音楽も
たくさん書いておられる方だ
でも林光作品ってのは
抜きん出て光ってるよね

ちょっときいただけでも
只者じゃないのすぐわかるし

『国盗り物語』(1973)
『花神』(1977)とか
『山河燃ゆ』(1984)だとかさ

ああいう人が言ってることに比べると
評論家の経験はタカが知れてると思うな

考えてみると俺
評論雑誌読んでも評論家の評論
ほとんど読まなかった気がするな

それ以外の人が言ってることの方が
参考になったですよ

よろず作法というものがあって
それを学ぶことが大事だと思う

それを教えてくれる人探すってのは
自分自身だよね

でもそれができないと
物を見る目を磨かれないし
人間伸びないですよ

日本のプロの音楽家
とりわけピアニストなり
バイオリニストなりを見ていると
多分その時点で失敗しているって
人が多いよね

ある年齢までにそれ
つまり音楽を聴く作法みたいなもの
修練を積んどかないと

結局歳をとっても
伸びない音楽家になっちゃうよ
音楽家に限らず
これすべての分野でそうだと思うけどな