狂躁亭日乘・龍馬暗殺20151123 | おととひの世界

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リンクも始めましたよ

ついでにする話じゃないけれども
ケネディの事件の話が出たつながりで

別に今日がその日というわけではなくて
太陽暦では違う日になるんだけど
坂本龍馬 11月に生まれて
自分の誕生日にころされた。

京都 四条河原町 近くの
酒屋の2階の密室で
中岡慎太郎と共に誕生日を祝って
酒を酌み交わしていた。

そこへ門人と称する男が
訪ねてきた。龍馬は剣のたつ男。
しかし その部屋は 天井の低い
しかも かもいのある
部屋だった。

長身の龍馬としては
ダンビラを振り回すには
あまりにも狭すぎた。
脳天をわられて死んだ。

ここで下手人の話はしません。
いまだに 龍馬暗殺の犯人 探し
その話ばかりになる。
やって悪いとは言わないが
あまり意味があることとは
思えない。

坂本龍馬は用心深く生きてきた。
あれだけの剣の
使い手だったにも
かかわらず早くから
ピストルを持っていた。

しかもあれだけの
働きをしていたのだから、
いつ、どこで、だれに
ころされたって
不思議ではなかった。
それを本人がわかっていたから
用心していたわけで。

しかしそれでなぜ、
あんな路地裏の
袋小路に近い立地条件にあった
酒屋の、 狭い 2階で
たった2人で
酒を飲んでいた、のか?

その年の秋に、江戸幕府
15代将軍  徳川慶喜に、
大政奉還をやらせた。
一世一代の大勝負であり、
佐幕派の武士すべてを
敵にまわしていた。

もはやいつ殺されても
おかしくない状況に。
それは 坂本龍馬 本人が
一番よく分かっていたはず。

であるならば、なおのこと
なぜあれほど無用心な
場所にいたのか?
しかも、たった二人で。

絶対に大丈夫だという
確信があったからです。
ガードは万全だという
確信があった。

坂本龍馬が そう考えていた
根拠は何だったのか?

最強のガードマンに
その身辺を警護されていると
思っていたからですよ。
それは 薩摩示現流の
達人たちだった。

薩摩藩士の実質的リーダー
西郷吉之助が自ら選んだ
人斬り半次郎こと中村半次郎

腕もたつうえに頭も切れた
西郷が最も信頼した部下
村田新八もその一人だった。

薩摩示現流 というのは
恐ろしい剣法です。
現在行われる剣道は
あれは戦国時代 以来の
剣術ではありません。

戦国時代の剣術というのは
そのものずばりの殺し合いでした。
一の太刀で相手をたおせなくても
二の太刀では必ず相手を殺す。
文字どおりの必殺剣です。

現在 体育教育でやっている 剣道とは
それとはまったく異質です。
あれは 江戸時代に、平和な時代に
なった上に、大陸や半島からの
朱子学の流入とその官学化が図られた。

そうした感覚から見れば
従来の戦国時代以来の剣術は
いかにも血腥く野蛮であった。
だから血を流すこと を
離れたところでスポーツ化された
エレガントな剣道が作られた。

それが現在までつながっている
オーソドックスな剣道の姿です。
本来は あんなものではない。

あくまで 戦場における
殺人術なんですよ。だからもとより
エレガントなスポーツではなかった。
江戸から遠隔の地域、代表的 な
ところでは 会津藩や
薩摩藩などに

戦国時代 以来の
あまりエレガントではない、
あくまで殺人のための格闘剣術が
本来の姿で残された。

とりわけ 薩摩藩の場合は
関ヶ原以来の江戸幕府に対する
含むところから、やがては
やってくる決戦の日にそなえて
わざと遺していたと言われている。

薩摩示現流では最初から
頸動脈をねらって太刀を振り下ろす。
人間がいくらきたえたところで
どうしようもない最大の弱点。

そこを最初から狙い打つ。
二の太刀で、相手は必ず死ぬ。

元々戦国以来の 剣術ですから
実戦では強いに決まっています。
だから 薩摩兵はおそろしく
強かったでしょ。

西郷が坂本龍馬につけた
ボディーガードは
そうした中のえりすぐりだった。

真剣による素振り1日 九千回で
知られた 剣豪、中村半次郎は
新撰組局長 近藤勇が隊員に対し
中村半次郎と名乗った相手に
斬りかかることを
禁じていたほど。

それだけ恐れられていた。
そのクラスのガードマンが守っていた。
だから坂本龍馬は安心していた。

しかし 龍馬暗殺の瞬間
がっちり守っていたはずの
ガードマンは
どこかに消えていた。

それを見た暴徒凶漢に
あっという間におそわれた。

はたして ケアレスミスか?
おそらくそうではないと思います。
薩摩藩、というより その事実上の
リーダー、西郷吉之助にとって
もはや 坂本龍馬は
邪魔だったのですよ。

あの時期、これだけのことを
いとも簡単に実行出来た人間は
西郷吉之助以外にいません。

歴史小説やテレビでは
持ち上げられている坂本龍馬。
実のところ 元々は
イギリスや薩摩藩などの
メッセンジャーボーイに
過ぎなかった。

その頃はまだ 使い道があった。
一度 坂本龍馬 寺田屋で
奉行所と新撰組に包囲された
ことがあった。

その時 西郷吉之助は
薩摩藩邸にいた1000名の兵隊と
大砲まで引きずって行ったうえ
新撰組と幕府がたを逆包囲。

力ずくで坂本龍馬を救出し
薩摩藩の軍艦に 坂本龍馬 夫婦を乗せ
なかなか他国の人間を入れない
薩摩藩に招待して療養させ
しかも西郷の自宅に泊めていた。

これが日本最初のハネムーンと
言われるものです、

ここまでされれば坂本龍馬ならずとも
自分は 西郷吉之助に
必要とされている
信用されていると
思い込むのも当然でしょう?

当時そこまで大切だった男
なぜあの瞬間に
警衛を手薄にしたのでしょう?

もはや用済みだったからですよ。

それが西郷吉之助・隆盛という
人間の恐ろしさ、なんです。
坂本龍馬という男、目端がきくようで
どこか優しさがあって
脇が甘かったのだろうと。

西郷吉之助と坂本龍馬の関係は
ちょうどウィンストン ・チャーチルと
アラビアのロレンス の関係に
近いかなと思います。

映画では アラブの英雄になっている
アラビアのローレンスですが
現実には 英国の石油利権獲得のための
工作員に他なりませんでした。

そしてローレンスもまた
自分の意思で勝手に
動き始めたところで

交通事故による謎の死をとげた。
どうみたって 暗殺ですよ。

坂本龍馬の場合はより露骨。


西郷吉之助 ・隆盛
元々が藩主 島津斉彬のお庭番です。

お庭番というのは身分が悪くても
いつでも主の話を聞くことができる。
早い話が 腹心の工作員です。

彼の写真が一枚もないというのは
そのせいです。しかも四六時中
莫大な工作費を与えられていた。
薩摩島津藩は幕末に手に入れた
琉球の黒砂糖の年間24万両の
売り上げがはいった。

島津斉彬はその利益を
ほとんど軍備増強と政治工作に
使っていたし、まだ使えた。

西郷は元々経理官僚だった。
そろばんは恐ろしく得意な人。
しかも賢く徳もあり、欲深くはない。

だから安心して大金を任せられたし
島津斉彬が意図したように
大金を瞬時に役立てることも
西郷 吉之助ならばこそ 可能だった。

西郷は それを使って、24時間
ぶっ通しで早馬や速かごを操り
東海道を3、4日で踏破し
江戸と京都で同時に工作をやった。
普通の体力 、知力では
ありえない離れ技です。

凄腕のスーパー 工作員ですよ。
だからあれだけのことができたわけで。
でっぷりした体格と
隙だらけの、人なつこい表情。
相手の警戒心 を解くために
たいそう役だった。

坂本龍馬もしてやられた。
彼は西郷を利用したつもりでいて

実は自分が利用されていたことに
最後まで気づかなかった。
龍馬の横死は、うぬぼれが招いたこと。


初めて西郷にあったときの
坂本龍馬の西郷隆盛評です。

西郷はバカだ。大馬鹿だ。
大きくたたけば大きく鳴り
小さくたたけば小さく鳴る。
ばかでかい 釣鐘のような人物。

しかし その釣鐘があまりにも大きく
どこまで馬鹿なのか 底が知れない。