“マネシ”・・・、京都人が一番嫌う言葉 1. | おととひの世界

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「京都人にゴリガン言われたらクビくくれ
て言うやろ。最悪の侮蔑・軽蔑のサインや
と、あれ・・・、間違うとる思うんや・・
それより悪いんが・・マネシ・・・、やないか
思うで。言うてみればレッテル貼りや
けどな、そこんとこ京都と大阪では
はっきり別れるトコやないか?思う」

「真似し・・・、マネシ・・・、ですよネ?」

「そうや。なんぼ儲けたかてな
人の真似して儲けた成功した・・では
絶対に上座に置かれることはない。
まぁどこの地方、どこの国かて同じ
かもしれんけどな、京都はチぃーと
特別やな・・。これは京都の成立事情と
多分直接に関係があることやな」

「独創性いうか、人の真似できん、
あるいは人から真似されるようなもの
自分の力で編み出しなはれ・・と」

「ほんまにそう。何かバカたくさん
ぎょうさん作りまくる・・、いう者は
どうやっても尊敬されん。
今やったら京都のハイテク企業、
ー番力持ってるのは京セラやろな。
しかし古くは島津製作所、オムロン、
村田製作所、ローム、堀場製作所。
どの会社も量はそれほど多くない。
つまり製品の重さやな。けれど
世界シェアでいうたら80%以上
ぐらいの切り札、皆持ってる会社や」

「島津製作所、40代のサラリーマンが
ノーベル賞もろうたですからね」

「まぁ日立製作所みたいに、これから
もらいそうな人1ダースは居る
そういう会社他にもあるけどな。
人がやらんことやる。やってみなはれ
そういう精神は京都の伝統や

島津製作所。太秦のすぐ近くやけど
企業マークはて丸に十字。薩摩の
島津藩の世話をして許された
そういうことになってるけどな
太秦いうたら京都の秦氏の本拠地
あまり知られとらんが薩摩島津も
幕末まで残った数少ない秦氏系大名や」

「ほー!昔からつながっとると」

「何のつながりもない事はないやろな
秦氏いうのはもともと百済系帰化人
しかし元来はシルクロードの中間地点
キルギスの出やったと考えられてる
大量の技術者集団抱えて日本へ来た」

「太秦の木嶋神社、今の地下鉄の
東西線の西の終点・蚕ノ社、あれは
秦氏の神社ですよ。そう習うたけど」

「秦氏系社の筆頭格やろな。大陸系
半島系の古代のハイテク。最大の
ものこそ養蚕と機織りやったわけや。
なにせシルクロード言うくらいやから。
大量にローマ帝国へ輸出された。
ローマでは絹製品のことセリカ言うて
これがシルクの語源や。ローマ人は
帝国滅亡までそれ蚕の糸からいうの
知らんかったし、出来なんだんや。
ヨーロッパでシルク製品が本格生産
されたんはなんと19世紀からやった。
お蚕さんは伝染病にかかりやすいしな
それを克服するのが大変やった。
それを何とかして安定した生産が
できるようにしたんが天才パスツールと
あの昆虫記のファーブルや」

「ヘェー!!随分長い事・・・」

「時間かかったんや。けれどそのために
絹糸とシルク製品、実に長いこと
アジア製の特別な手工業製品やったんや
もし太秦で秦氏が、絹糸と機織りを
日本の独自技術として育てんかったら
日本は対中貿易で半永久的赤字国や。
つまりこのハイテクは聖徳太子と
中国の隋帝国のスーパー独裁者・煬帝との
東アジアの国同士の初の対等外交樹立へ
経済的な基礎を作ったんや。
アジアで中国全土を征服した騎馬民族を
除けば、対等外交を今日までやれたの
考えてみれば日本だけやろ。
その基礎は昔も今も“国産技術”や」

「そこでやっとマネシ・・を嫌う風土へ
つながるわけですか?なるほど・・。
初めは導入技術でも、工夫を重ねた上で
やがては独自技術でつなげる」

「その通りや。現在の日本の企業家精神を
作ったんは、自慢でも何でものうて
大昔の京都やねん・・」(この項つづく)