身体に疲れが残り過ぎて眠れない
ので、個性について語ろうと思う
ひとつひとつを取ると平凡だ
だけど平凡バランスを集めると、同じバランスで持っている人はいない
それが私
存在を否定しまくって、自己肯定感がマイナス100だったことも
音楽と絶縁したことも
10年かけて音楽と仲直りしたことも
カメラにはまって、気がついたら写真コラージュにはまっていたことも
コンサドーレの掲示板レポでサーバー落としたことも
差し入れ魔なじぶんも
推しにあからさまに嫌われたことが無いことも
友達では無いけど笑顔で迎えてくれる人たちがいてくれること
自己肯定感はここ最近、2~3ヶ月で会得したこと
空気を吸うことすら、許されないって思っていた頃から
外に出れなくなったり
家族のなかで家族の求める自分を演じているうちに、自分の好きなことがわからなくなったり
笑顔で受け取らなくっちゃと焦っても上手く笑えなくて親戚を怒らせたこと
芸術より数字がわかりやすい仕事の方が楽で好きだったり
赤の他人だけど子供のように可愛がってくださる方がいてく、この世にいていいんだなってすこし思えるようになったこと
幼稚園の時にたまたま幼稚園がカソリックで、マリアさまの像を渡され「神様はいつもそばにいるんですよ」といわれた時孤独から救われたこと
まるで協調性を持ち合わせていない私が部下を強制的に持たされたこと
失語症とどもりなのになぜかコールセンターにチャレンジしたこと
男性恐怖症だったのに、次から次へと部下男子参入で、軽口叩けるようになる位、強制的に慣れたこと
それはそれは退職を考えたくらい憂鬱な毎日だった
家族も含めて、人と同じ空間にいることが苦痛でしかなかったこと
大学の時のバイトが、デパートの小さい画廊で、そこでたくさんの職人さんや芸術家の方、人気の出始めた平山郁夫さんの生絵を見ることができたこと
新興宗教真っ盛りで、友人の家に遊びに行ったら5人の人に囲まれて勧誘されたが3~4時間屈せずに論破したこと
納得いかなかったのが「今は不幸だけど来世で幸せになるために祈る」という考え方「今、幸せになろうよ!」としか思わなかったです
小説を書くことに逃避したこと
歌の中で演ずることの楽しさを知ったこと
日本語の一言の中に含まれた複雑なニュアンスを込める楽しみを知ったこと
自分は2人の特別に気に入ってくれる人と、8人の無関心の人がファンの構成だということ
それは「いいね」がいっぱいある人より強いことがあること
なぜか「お嫁さんになって」はあっても「つきあっては」言われたことはない😢
自分が勿体無いと思う位の物を贈れを心情としている
転勤生活の中で人への執着が少ない
応援するとなるととことんやる
Blog文化がはびこる前は、本職とは別に毎日5~6時間、写真をチェックして即日掲載をしていた
練習で300枚試合で1000枚は撮っていたので意外と大変だった
お芝居も好き
演じる側はちょっと。
好きなものは徹底して好き
そしてたいした理由はない
何か、上手く行かないことがあった時、自分の為の砥石だと思ってしまう昭和世代
今やっと、自分の気持ちも大事にしないなと思えて苦痛でしかなかった「誰かが一緒にいること」
それが「誰かと暮らすのも良いのかも知れない」
に変化しました
何回か振り返ったけど、ここまで全部必要な過程だったし、もっともっと若いときに思えば、誰かのお嫁さんで子供もいる家庭を持てたと思うけど、あのメンタルでは無理だった。
老いらくの恋は意外と転がっていますし。
別に来世の課題でも良いのです。
暮らすのが甥とか姪でも良い話なのです😊
今なら、モラハラ家庭ではなく、会話が成立するパートナーシップのある空間が作れるかも知れないなって思うようになりました。
飛び抜けて出来ることは少ないけど
要素分析するとこのバランスの人間はいないかなと思い。
それが個性というものなんだなと思った次第です。
多分世の中のひとりひとりが、個性を持ったたったひとりの人なんだと思う