これまで私の父にまつわるエピソード(武勇伝?)を何度か紹介して来たが、前回は確か『パトカーをタクシー代わりに使った』という内容だったと思う。
とにかく破天荒な人生を送って来た父だけに、そのエピソードは豊富で現在でも語り草になっている。父が酒乱だった事はこれまで何度か話題にして来たので、既にご存じの方も多いと思うが、酒が一滴でも入ると、それは留まる事を全く知らず前後左右の見境がなくなる程に飲んでしまう。
父が酔って帰って来た夜は、子どもながらに覚悟を決めてはいたものの、その恐怖に慄きながら父が寝入ってしまうまで石のように頑なに耐え忍んだものであるが、出刃包丁や大きな石を持った父に追いかけ回された時の恐怖は言葉だけで表現出来るものではない。
然し、最近になって漸く解った事が一つある。父は確かに酒乱ではあったが、それは子どもである私の前でだけに限られていたのである。
どんなに酔っても、よそ様に手を上げたり暴言を吐いたりはしなかった(ヤクザ同士の喧嘩は別)と聞いている。
何故、父は私にのみ暴力を振るったのであろうか…酒の力を借りなければ、おそらく表現出来ない程の切ない孤独と寂しさを抱え込んでいたからだろう。それを血の通った息子である私だからこそ、自分の本音を言えたのではないだろうか。
つまり、これは父の精一杯の愛情表現だったのかも知れない。子どもが親に甘えるのと同じで、父自身が甘える事の出来る場所は、唯一この私の存在だけだったのである。
前置きが長くなってしまったが、タイトルにある通り『マンホール』に落ちた現場を私が目撃した訳ではなく、父自身の口と父を助け出した友人から聞いた話しなので、信憑性についてはご容赦願いたい。
昭和30年代の事なので、まだ下水道など完備されている分けもなく、そのマンホールと呼ばれる処(現在もそのまま残っている)は、おそらく火災時の為に作られた貯水槽ではないかと思う。
私が10歳の時の事。父と二人で夕餉の支度をしている時だった。七輪で秋刀魚を二匹焼きながら、大根を摩り下ろしている所へ父の舎弟分である『寺下勇次(藤枝で喧嘩が最も強いと言われた男)』がやって来た。
友人や知り合いが訪ねて来た時は必ずと言ってよいほど家で酒を飲むか、外へと出かけてしまうので、勇次の顔を見た時、嫌な予感が頭をよぎった。その予感はぴたりと当たってしまい、私の儚い想いはいとも簡単に消え去った。
「とし坊、ちょっと出かけるから、飯は一人で食べておけ」そう言い残すと父は勇次と夕暮れが沈みかかった町中へと消えて行った。
年に数えるほどしかない父親と二人だけの夕餉を『勇次』に取られてしまったという嫉妬心のような気持ちを抱きながら、残された秋刀魚と味噌汁を友として、いつもの寂しい食事に箸をつけた。
一旦外出すると何時帰って来るのか全く見当もつかなかったし、そのまま一年経っても帰って来ないこともあったので、父の声や足音が聞こえた時はホッと胸を撫で下ろしたものである。
その夜もおそらくまともな状態で帰って来る事はないだろうと、いつもの暴力を覚悟しながらそれでも早く帰って来てくれるように祈りながら、眠りに就こうとしていた。
夜中に帰って来てもよいように部屋の電気を点けたまま、夢の入り口で微睡み始めていた時だった。「と、とし坊、とし坊…」と父の呼ぶ声に眼が醒めた。
いつもの通り酒の匂いが鼻を突いたが、それ以上に泥酔振りを指し示す雄叫びにも似た、暴言が全く聞こえて来ない。
普段の酔いとは様子が違う事に疑問を抱きながら部屋の入口へ行って見ると、そこには真赤な血で覆われた父の鬼にも似たような形相が待ち構えており、私は一瞬その凄まじさにたじろぎ、この世の者ではないような近寄り難さを感じていた。
その血だらけの中から眼光だけが妙に鋭く、その場に立ち尽くす私を凝視していたが、その姿とは裏腹にそれは明らかに私に助けを求めている狼の如き姿に見えた。
座敷に自力で這い上がる力は既に残っていなかったのだろう。父は上半身だけを(画像の男)のように預けながら「とし坊、手拭い持ってこい、濡らしてな…」そう言い残すと、その場で眼を閉じてしまった。
血に染まった父の顔を濡れたタオルで丁寧に拭いながら、父の身に起こった事を勝手に想像していた。あの勇次と二人である事から、考えられるのは喧嘩に巻き込まれて相手を叩きのめした時の返り血を浴びたか、父自身が珍しく痛めつけられたかのどちらかだろうと思っていた。
体重60キロをゆうに超える大人の身体を、まだ10歳の私が支えられる訳もなかったが、それでも渾身の力を込めて父の身体を座敷の下から引き起こし、足を引っ張り上げてなんとか部屋の中に引き入れた。
翌朝、酔いから醒めた父に昨夜の事を聞いてみると、いつもなら酔っていた時の事をすっかり忘れ、私に暴力を振るった事さえ思い出す事もなかったが、昨夜の出来事はしっかり覚えていたようで、照れ笑いを浮かべながらこう切り出した。
「魚宗の角を曲がった処に鉄板の大きな蓋があるの知ってるだろ」
「ああ、あれね知ってるよ」
「父ちゃん、あそこに落ちちまってな…」
「ええ!落ちちゃったの、あそこに??」
「どうやら蓋が半分開いてたみたいだ…」
そのマンホールと思われる所がどの程度の深さなのか、中がどうなっているのか覗いたこともなかったので、この父の話しに夢中で聞き入った。
「それでどうしたの?中は?下まで落ちたの?」
子どもによく有り勝ちな疑問符攻勢に、少し煩雑そうな表情を見せながらも父は続きを話してくれた。
「勇次を追いかけて行ったんだ、言い忘れたことがあったからな」
「下までは落ちなかったんだね」
「ああ、ぎりぎりの処でな、両手だけで身体を支えたよ」
「それで、勇次―、勇次―って叫んだ」
父に呼び止められた勇次は数十メートル先にいた。声に気づき後ろを振り返ったが、声はすれども父の姿は何処にもないことに首を傾げながら、声の方へと向かって行った。
辺りは街灯もなく人影はおろか、車の走る音さえ暗闇の中に吸い込まれたかのように静まり返っており、その静寂を打ち消すかのような父の助けを呼ぶ声だけが、夜の微風に揺れながら喘いでいた。
勇次がそのマンホールから父を引き摺り出した事はいうまでもないが、暗闇の中で血だらけになっている父の姿を想像はしていなかっただろう。もし、勇次がそのことを知っていたならば、勇次が父を家まで送り届けた筈である。
私と父の家から数件先にある『魚宗(寿司屋)』は東海道の侠客である長楽寺清兵衛の家としても知られており、もしこの時代に清兵衛親分が生きていたなら、父の穴に落ちた話しを聞いて「神戸の信夫ならやりそうな事だ」と大笑いしただろうと思う。
それにしてもあの時の血まみれの父の顔は余りにも強烈過ぎて、私の瞼に焼き付いたまま今でもつい最近の事のように思い出される、父を巡る思い出話しの一つであった。
