新垣結衣が主演する映画「フレフレ少女」を観て、記事のタイトルを付けてみた。
この映画は既にテレビ放映されているのでご覧になった方も多いと思う。
ストーリーそのものは至って単純だが「人を応援する事は自分を応援する事」。
この言葉だけで十分であり観る価値はある。
わたしの最終学歴は「天竜養護学校中等部」。
卒業出来ただけでラッキーだと思っている。
わたしが在籍した期間は1968年~1970年の3年間であったが、そこはあらゆる病気の坩堝。
難病・奇病の子どもたちが親元を離れ集団生活を送っていた。
医学の進歩により、現在では治療法も確立され助かる病気になったものもあるが、当時はただ延命治療と運を天に任せるしかなかった。
そんな中で卒業すら出来ず、病と闘いながら逝ってしまった子どもたちの姿が脳裏に焼きついたままである。
わたしは重い心臓病だったので、多くの制限があった。
授業は4時間までしか受けられない。
しかし、受けられるだけましでもあった。
個室にいる子どもたちは隣接する学校には行けない。
そんな子どもたちは教師が病室にやって来て、2時間までという制限はあったが、ベッド授業をマンツーマンで受ける事が出来た。
わたしも最初の3ヶ月はそうだった。
勉強が大嫌いだったのでそれすら疎ましかったが\(^o^)/
わたしは小学校を無理矢理卒業している。
出席日数が足りず本来ならば留年だったのであるが、担当の教師が「それでは余りにも可愛そうだ」と言う事で校長に直接掛け合い、めでたく卒業することが出来た。
ご存知の通りわたしは「登校拒否児」。
6年間の学校生活でまともに通学したのは3年間くらいのものだろう。
もちろん心臓病の影響もあったが、やはり劣悪な家庭環境が不登校の背景になっている。
たまに学校へ行けば「いじめ」に会うから、それもまた登校拒否の要因だった。
養護学校(特別支援学校)は謂わば特殊学級である。
履歴書に「養護学校卒業」と書く勇気がなかった時代が長い期間に渡り続いた。
病気のことも隠し続けていた。
そうしなければ生きていけなかったからである。
偏見と差別がひしめくこの社会で、弱者が生き残るには嘘で固める必要があった。
しかし、わたしはもうその過去の呪縛を自ら解き放った。
フレフレ養護学校。
養護学校出身者としてわたしは「応援団長」になろうと思う。
涙と笑顔の同窓会が近づいて来ている。
彼らとの絆は家族愛より深いかも知れない。
PS:「天竜養護学校同窓会」は門戸を拡大して、年代に関係なく会員を募集しております。
関係者は当日参加もOKですの「ブログを見て知った」と受付で話して下さい。
日時:2009年11月1日(日)午後2時より
場所:浜松ホテルサゴーイン(静岡県浜松市)
会費:6千円(未定)
お待ちしております。
