善光寺の落書き事件はおそらく未解決のまま犯人の特定が出来ず、終わりを告げた。毎日起こる事件・事故のニュースが多すぎて、情報氾濫の現代では「人の噂も75日」どころではない。
一ヶ月も経たない内に人の記憶から消え去って行く。
ニュースを垂れ流すマスメディアの責任と言ってしまえばそれまでだが、情報に振り回されるわたし達にもある程度責任があるだろう。
これはブログにも当てはまることである。アクセスを気にするあまり、記事をひたすら更新するブロガーが多く、ブログが一体何の為にあるのか、その基本精神を忘れてしまっているのではないかと思う。
イタリア中部フィレンツェの世界遺産である「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」落書き問題が今世界中から注目されているが、落書きを全く別の角度から分析してみようと思う。
今回のような文明の貴重な遺産に対しての軽率な行為は「犯罪」とも言えるが、落書きこそ最も古い人類の遺産でもある。
洞窟に描かれた古代人の壁画を落書きと呼ぶには語弊もあると思うが、落書き自体は実に古い歴史を持っている。
産まれて間もない赤子に絵筆を与えれば、それは本能の如く何かを描く、それに意味があると思わないが、この行為は人間が成長する最初の一歩なのである。
日本の歴史に於いても古くは鎌倉時代以前から存在し、風刺画として残されているが、徒然草や鳥獣戯画などはその代表であろう。
日本以外でも古代ローマなどに残る古典的落書きも多く、それらは世界中に多く見られる。
つまり落書きがもたらす、当時の生活様式や社会形式を知る上で欠かせない物もあり、歴史的価値が高い。
しかしながら、今回のように観光客で賑わう場所に於いての落書きは単なる自己主張或いは記念として、建造物への破損と言う行為を全く認識していない、モラルなき悪戯の域であって、決して許される行為ではない。
もし仮に貴方の先祖が眠る神聖な墓石に落書きなどされたら、実に不愉快だろう。
不快感を与える行為がどれだけ人を傷つけるか、もう一度自分の胸に手を当てて考えるべきだろう。