人間には人を殺す遺伝子が組み込まれているのではないだろうか。と思わせるような殺傷事件が連続的に多発している。茨城県土浦市で起きた8人連続殺傷事件、岡山市のJR岡山駅下りホームでの突き落としは18歳の少年による犯行。
東京都文京区では製本会社を経営する社長(父親)の一家無理心中。そして松阪駅に向かう路線バス車内では携帯電話をめぐっての口論から注意した男性が死亡。
これ以外にも多数の殺人事件が飛び火するかのように起きている。
これら殺人についての動機は様々だが、納得できる動機など一家心中の件を除いては全く理解できるはずもない。
JR荒川沖駅の8人殺傷事件では、金川真大(かながわまさひろ)容疑者は既に指名手配を受けており、警察は彼を追跡調査していた。駅では8人に及ぶ警官が張り込みをし、警戒に当たっていたが、変装をしていることは分かっていたはずであったが、彼を見つけることが出来ず犯行を許してしまった。
警官の不手際がこの事件を防げなかったことは全く遺憾である。
市民を守れない警察官の不祥事の犠牲になった方々が気の毒である。金川真大容疑者の犯行は計画的で俗にいう「通り魔殺人」ではない。
殺す相手は誰でもよいという無差別殺人は人格の崩壊、或いは世間に対する逆恨みなどが背景にあると思われるが、破滅願望や死を一種の達成感として捉える傾向がある。
同じく岡山駅で起きた突き落としもやはり誰でもよかったという短絡的な犯行。自己形成がまったく出来上がっていなかった一種のゲーム感覚で死を捉えていたのではないだろうか。
会社を経営する父親が仕事のことで悩み、将来に大きな不安を抱え、家族を巻き添えにした事件では、父親に非難が集中している。それもまあ当然ではあるが、父親はおそらく人一倍責任感の強い人物ではなかったかと思う。
それが裏目に出てしまった犯行ともいえる。無責任な父親なら家族を捨てて自分だけ夜逃げでもするだろうが、家族を愛する気持ちが病的な状況まで追い込まれてしまったことがこの事件の要因かも知れない。父親を非難することは簡単だ。しかし冷静にことの顛末を分析した時、父親だけの責任ともいえないだろう。
路線バス内での事件は社内に30名ほどの乗客がいたにも関わらず、全ての人が傍観者を決め込んでいた。他人同士の口論に「まあまあ」と口を割って入るのは中々勇気の必要なことだが、傍観者を決め込んでしまうのも情けない。
この場合は運転手がバス内での口論に気付いた時バスを止めて仲介に入るのが妥当だろう。
それを見て乗客数人が応援すれば、事なきを得て命を落とすことは防げたかも知れない。
いつ頃からこんなに命が軽くなってしまったのだろうか。
そんなに人を殺したいのなら、イラクやアフガンなどの戦場で傭兵として志願し殺し合いがどんなに愚かなことかを勉強してくればよいと思う。
無抵抗なな人間を殺すほど卑怯な方法はない。それは全て自己満足の世界で起こり得る自己中心的な人生の歯車が狂った結果である。