「窮鼠猫を噛む」と言う有名な諺がある。意味は追い詰められた鼠が猫に噛み付くように、弱い者でも場合によっては反撃に転ずる。ということだ。この言葉をそのままいじめの世界に置き換えてみよう。鼠のように反撃出来る者がどれだけいるだろうか?
先日起こった岡山市でのいじめによる自殺事件。このようないじめ問題が起こる度に、わたしはため息しか出て来ない。国や教師、そして大人たちがどんなにいじめを無くそうと努力しても、いじめがこの世から無くなった試しはない。
いじめの程度こそあれ、自殺などという最悪の行動にわたしは疑問しか残らない。わたしがいじめを受けていた時期は以前にも話した通り、小学生の4~5年生の頃がピークだった。汚いと罵られ、パンツを脱がされ、鉛筆の尖った先で刺されるなど数え上げたら限がないが、そのいじめ地獄からどうやって抜け出したか。
大人や親、教師は当てにならない。言えばそれ以上にいじめがエスカレートするだけ。この頃わたしは既に心臓弁膜症に侵され死にそうな身体をしており、体力も限界に近かった。
しかし、わたしはいじめグループの一人を呼び出し、クラスの全員が見ている前で相手の顔面めがけて握り拳を一発くれてやった。
それ以来いじめられることはなくなった。いじめられる人間が弱いとは限らないが、拒否する姿勢を見せるべきである。誰も助けてはくれない。相談にはのってくれても、解決の糸口は見えない。
ならば、自分が立ち上がるしかないだろう。金銭を要求されるなど、近頃のいじめは昔と多少違い、狡猾さが一段と増している。五体満足な身体を持っているのなら、それら全てを武器にして戦え。相手が複数だったとしても、「否だ」と一言発しろ。そこで殴られても屈服するな。徹底的に拒否するのだ。
そして時期が来たら、一人ずつでもよいから殴り倒してしまえ。暴力も時には必要。健康な身体を持っているなら、柔道や空手などを習うのもよいだろう。
自殺は負けでしかない。一時だけの反省で終わるか、或いは反省すらしない連中だからこそいじめに走る。強い者には絶対手を出さないもっとも卑屈な心を持った人間がいじめという恥ずべき行為で有頂天になる。いじめは当事者同士でしか解決をみないことを大人も理解すべきである。