早朝、薄っすらと東の空に日差しが見え始めていた。台所では朝食の支度に火が鍋の蓋を揺らしていた。ポストに朝刊を取りに行く者、TVのリモコンにスイッチを入れ見慣れた番組を確認する。子どもたちはまだ夢の中にいて、母親は凍てついた朝焼けを眺めながら暖を取る用意。自転車で駅に出掛ける者、街は日常の生活を始めようとしていた。それが一瞬にして悪夢と化すことなど、誰に想像出来ただろうか。1995年1月17日(火)午前5時46分52秒のことだった。地中深くから地鳴りと共に襲いかかった未曾有の大地震。神戸の街が瞬く間にまるで大巨人の手によって握り潰されるような衝撃だった。高速道路は崩れ落ち、電車のレールは飴のように曲がり、穏やかな朝の風景は地獄へと一変した。逃げ惑う人々、何が起こったのか理解不能のまま裸足で家を飛び出る人たち。悲鳴とともにサイレンの音が街中を包み込む。そして火災発生…。時間が経過する度にその被災状況が明らかになる。政府が救援対策本部を設けたのは地震発生後かなり時間が経ってからであった。当時の首相「村山」さん、政府関係者も最初は耳を疑っていた。届かない自衛隊の救援、地元の消防隊だけでは余りにもこの巨大地震の前では無力だった。この地震で6000千名以上が命を落とし、負傷者は4万人以上。家屋を失った人々は46万世帯にも及ぶ。あの阪神淡路大震災から12年が経ち、街は少しずつではあるが通常の港街神戸へと復興して来た。その影には多くの市民、ボランティア団体などの応援もあったが、惨劇を乗り越え新たな笑顔を求めて災害に負けない強い心を取り戻した人たちが大勢努力した結果ではないだろうか。しかしながら、忘れたくとも心の奥に突き刺さった地震の棘はそう簡単には抜けない。自然の猛威は容赦なく人々の幸福を打ちのめす。こんな時こそ人間の絆がいかに大切かを知ることが出来る。人が人を助け合う事の尊さを忘れないでいたいものだと思う。
早朝、薄っすらと東の空に日差しが見え始めていた。台所では朝食の支度に火が鍋の蓋を揺らしていた。ポストに朝刊を取りに行く者、TVのリモコンにスイッチを入れ見慣れた番組を確認する。子どもたちはまだ夢の中にいて、母親は凍てついた朝焼けを眺めながら暖を取る用意。自転車で駅に出掛ける者、街は日常の生活を始めようとしていた。それが一瞬にして悪夢と化すことなど、誰に想像出来ただろうか。1995年1月17日(火)午前5時46分52秒のことだった。地中深くから地鳴りと共に襲いかかった未曾有の大地震。神戸の街が瞬く間にまるで大巨人の手によって握り潰されるような衝撃だった。高速道路は崩れ落ち、電車のレールは飴のように曲がり、穏やかな朝の風景は地獄へと一変した。逃げ惑う人々、何が起こったのか理解不能のまま裸足で家を飛び出る人たち。悲鳴とともにサイレンの音が街中を包み込む。そして火災発生…。時間が経過する度にその被災状況が明らかになる。政府が救援対策本部を設けたのは地震発生後かなり時間が経ってからであった。当時の首相「村山」さん、政府関係者も最初は耳を疑っていた。届かない自衛隊の救援、地元の消防隊だけでは余りにもこの巨大地震の前では無力だった。この地震で6000千名以上が命を落とし、負傷者は4万人以上。家屋を失った人々は46万世帯にも及ぶ。あの阪神淡路大震災から12年が経ち、街は少しずつではあるが通常の港街神戸へと復興して来た。その影には多くの市民、ボランティア団体などの応援もあったが、惨劇を乗り越え新たな笑顔を求めて災害に負けない強い心を取り戻した人たちが大勢努力した結果ではないだろうか。しかしながら、忘れたくとも心の奥に突き刺さった地震の棘はそう簡単には抜けない。自然の猛威は容赦なく人々の幸福を打ちのめす。こんな時こそ人間の絆がいかに大切かを知ることが出来る。人が人を助け合う事の尊さを忘れないでいたいものだと思う。
