『引き寄せの法則』は。

地上の法則、地上における善悪に対して何の配慮も遠慮もしない。地上の基準に照らしたとき、『法則』には勧善懲悪の要素はまったくなく。その点において、

『引き寄せの法則は、悪の法則。悪を推奨する法則なのではないか』と問われれば、実際、それは、そのとおりだ。

 

『引き寄せの法則』は、仮にも『宇宙の法則』であり(以下『宇宙の法則』という言葉で『引き寄せの法則』を示す) 地上のそれとは、だいぶ様相が、ちがっている。

はっきり言ってしまえば、両者は決して相容れない!

 

だから『引き寄せの法則』をマスターしようと思ったら、地上の法則、地上生活を送るうえで必要なルール全般を一旦、脇に置くことが、どうしても必要なのだが。

そうしたこと(一旦脇に置くこと、棚上げすること、放置すること)を不可能にしてしまう要因なら、いくらでもあり、善悪の概念、とくに勧善懲悪の思想などは、その最たるものだ。

 

わかりやすく言い換えれば。

「悪人が栄えている」という現象を見て。

眉をしかめる人間、取り締まるべきだと考える人間は多くいても、それを快く思う人間は、ほとんどいない。

―――「それを快く思う人間は、ほとんどいない」という言いまわし自体が、一種の定型表現として機能しているありさまなのだが。

 

じつは、こういう場合。

可能なかぎり「快く思う」べきなのだ(!!)。

「悪が繁栄している」という事象全体のうちの、『繁栄』という部分にだけ目を向けて歓びを感じ、『悪』という部分は、完全に無視するのが、『引き寄せ』的には、正着だ。

―――説明だけなら。

すでに何度も、きいたことがあるのではないかな??

 

だが。 実際には、不都合な部分はすべて無視して、望ましい部分にだけ目を向けるのは、地上の人間には、ひじょーにむずかしい。

ほとんど不可能だ、と言っても良いくらいなのではないだろうか??

(参考までに。第133話/第134話/第135話あたりに、それが可能になったとき起こることについての記述あり。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『引き寄せ』という言葉が、これほどまでに一般にも普及したのは、ようするに『宇宙の法則』を地上の現実に即した形で紹介しようと努力した者たちがいたからで。 彼らのおかげで、たしかに『引き寄せ』というワードじたいは、ふつうの一般名詞になった。

その点において、彼らの功績は否定できない。

だが、そのようにして一般に普及させるためには、どうしたって、耳ざわりの良い言葉を並べるよりほかはなく。

そうすると、だれもが直視したくない、だれにとっても都合の悪い話題は、どうしたって、ひたすら回避されつづけることになり、ようするに、それはなかったことにされる。

 

結果的には、『引き寄せの法則』を教えることに関して、だれひとりウソはついていないのに、実用的観点から言ったら何の効果もない大ウソだけが伝わっている、という。

そうとうに奇妙な状況になってしまった。

 

それというのも、直視したくない部分もを、その「直視したくない」という「ありのままの気持ちに正直になる」ことで(笑)、無視してしまい、その結果、肝心の部分が、欠けてしまったからだ。

 

いちばん肝心の部分を無視することで、ニセモノの教義体系ができあがってしまった、と言っても良い。

 

顕在意識と潜在意識の話についても、だいたい似たような状況になっているのが、わかるね。

もしかしたら、仏教だろうと、キリスト教だろうと、同じことなのかもしれない。つまり、新旧を問わず、洋の東西を問わず。 ある一定以上の規模で大きく普及した教えには、かならず、その教えの核となる部分に、真理を内包している。

そして、その「核にある、真理」を直接理解できるのなら、それで十分。真理を体得できた時点で、その人は、宗教はもちろん、ありとあらゆる教えから、卒業できる。

 

つまり、極論すれば、どの教義体系に属するかは問題ではなく、しいていえば、人それぞれ、その人の相性に合っているものを選べるかどうかだけが、問題。

そうして。『引き寄せの法則』を本当にマスターできたのなら。その時点で、仏教やキリスト教において、真理を体得したのと同じ位置に立つことになり、宗教の信者、というカテゴリーからは卒業することになる―――。

 

 

 

 

 

 

すこし信じ難い話かもしれないが。

ただのひとつのメソッドだと思われている『引き寄せの法則』は、それでいて実体は『宇宙の法則』であり。

それを体得できた時点で、宗教が本来、教えるはずだった『真理を体得できた』ことになり。

仏教だろうと。キリスト教だろうと。それ以外の何教:何様の教えだとうと。地球上のありとあらゆる宗教からは、卒業だ。

 

あなたがもしも、どこかの宗教の信者だとしたら。

『真理を体得できた』としても、ただちに教団を脱退する義務はない。

だが、根本的に言って、あなたは、すでに「教える」側であり。

一介の信者であるという演技をいつまでも続けることは、たいていの場合、不可能だ。

そうして、ここでいう「宗教」とはかなり広義であり、スピリチュアルや自己啓発も含まれる。

(わたしも実際に、そうなった。)

 

いかがだろうか?

『宇宙の法則』とは、本来、このレベルのものなのだ。

『地上の法則』とうまく摺り合わせて、矛盾が出ないように習合させたものは、実質的にはニセモノであり、ご利益は、ない。

それは、ちょうど、日本には寺や神社がたくさんあるが、それらは観光名所にはなっても、あなたに悟りをもたらしてくれるわけではない。 それと、まったく、同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では。

「耳ざわりが良いだけの地上のニセモノ」と、

『真理に直接触れている、宇宙の法則』とを

分かつ一点は、どこにあるのか。

 

もちろん、説明の仕方は、いくらでもありうるし。

もともとは、「それは言葉では説明できない」などとされていた部分だ。

だが、わたしなら、このように言う。

 

それは『悪』だ。

『悪を、どのように扱うか。』という一点だ。

 

この世には悪があふれていると言えるが。

だからといって、悪人を恐れてはならない。

なぜなら、ほかならぬ あなた自身も、

ただの、ひとりの悪人にすぎないからだ。

 

みずからの 『悪』を、恐れるな!

みずからの 『悪』を、避けることなく。

みずからの 『悪』に、媚びることなく。

みずからの 『悪』に、みずから直面し。

それを呑み込み。

『悪』をあなたの支配下に置くのだ!

 

 

読了されたら…

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