想像してみてほしい。
見渡すかぎりの、人、人、人―――。
その人たちは、皆、あなたに会うためにやってきた。
ただ、あなたに会うだけのために、その人たちはその場所まで足を運び、そのために、少なからずお金も支払っている。
そうして、あなたは、といえば。
言いたいことを言い、話したいことを話すだけで良いのだ。
何なら、歌うとか、踊るとか、叫ぶとかでも―――。
第108話(後編)に、珍しくコメントが付いた。
今回の記事は、それに対する、返信。
1 飛影さんへ。
もしもあなたが、人前に出て、人々から注目を浴び、そのことによって報酬を得る、ということに関して、夢や希望や下心や野心をお持ちなら、(つまり、その方面の職業に就きたいとお望みなら)
すでに夢を叶えた人のことは、決して批判しては いけない。
これは、セミナー講師にかぎらず、あなたの夢が、女優やアイドル、アーティストだったとしても、話は同じだ。
『人前に出て、脚光を浴びる』という夢を叶えた人のことは、何があろうと、どのような理由があろうと、批判も否定もしないほうがよい。
あなたが同じ夢をお持ちであるのなら。
実際、わたしはわたしで、リスクを負っている。
リスクというより、正確には、「このブログを書いたことの、代償」
というべきかもしれないが。
それは、こういうことだ。
わたしは、有料(高額)のセミナーに対して、ずいぶんと批判的だ。であれば、わたし自身が有料(高額)のセミナーを開催することに決めたとき、自分自身の批判にみずから足を引っ張られるだろう、それを避けることは、ほぼ不可能であろう。ということだ。
そうして、それにもかかわらず、このようなブログを書き続ける理由は、ただひとつ。―――そう。高額のセミナーなど、開催する気は、ハナからないから。それ以外には、ありえない。
自分自身の値段は、みずから決めてよいし、自分自身を安売りしないことは、とても大事だ。だが、わたしはわたし自身を高く評価し、そのように扱うにあたって、値段を上げる、という以前に、『お金さえ払えば、だれでも』という、基本前提のほうを、変えてしまうことにした。
つまり、広告を出して、広く参加者を募り、参加費という形でお金を集める、という基本路線に乗る気が、そもそもない。
お金なら、すでに、余っているのだ。
『お金がほしい、とは思っていない。』ことは、それ自体、たいへんな強みであり、単に「たくさんのお金を得ている、持っていること」よりも、はるかに強力だ。
わたしとしては、その強みを遠慮なく活用・利用する気でいるので、まとまった大金が入ってくるための仕掛けも仕組みも一切不要。
したがって、高額セミナーの開催も不要。
そういうわけなので、きれいごとの裏の汚さを平気で暴くような、遠慮のない記事を、平気で書けるのだ。
1飛影さんがどのような境遇にいるのかわからないので、「もしも~なら。」という形になってしまうのだが。もしも、人前に出て脚光を浴びることに、何の興味も持っておらず、単に『お金を出して、教えを学びたい』というだけなら。セミナーという形態は、学ぶ側にとっては、じつはかなり割が悪い。お金を払うことで確保できるのは、その日・その場所に『居合わせることができる』というところまでで、そこから先は、そもそも、お金の力が及ばない場所だ。 本当のことを言えば、「お金を払ったのだから、なにかを得られるはずだ。」と考えていること自体が、そもそも、まちがっているのだ。
プロ野球を見に行ったからと言って、野球がうまくなるわけではない。
好きなアーティストのライブを見に行ったからといって、あなたがとつぜん歌って踊れるようになるわけでは、ないのだ。
それと、まったく、同じだ。
読了されたら…
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辺境の地の零細ブログにつき…
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