こちらは、後編。前編は前ページに掲載。
さて。『お金とは、愛と感謝のエネルギー』。
この命題が真実か否かを議論することには、じつは、まったく、意味がない。あえて言うなら、他人を見て多数決に従うのをやめて、自分自身の好きなほうに決めればよい。だけだ。
ただし、『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という命題を受け入れてしまった時点で、本来、まったく別のものであるはずの、お金と愛と感謝(と、エネルギーも?)を、『結びつけることに、合意した』という意味になる。
それについて考えているヒマもなく、瞬間的に。 自動的に。
そうして、『お金とは、愛と感謝のエネルギ―』という世界観に、ひとたび合意してしまえば、一般的に言って 愛と感謝は、目には見えないものだとされているのに対して、お金は、はっきりと、目に見える。
金額、という形で、きわめて具体的に。明確に。はっきりと。
スピリチュアル業界の重鎮だけが、億単位の収入を得ているのは、文字どおり、愛と感謝にあふれていることの証明、であって、そこにやましい点は、なにもない。それどころか、「信者たち」からすれば、単に「たくさんのお金がある」というだけで、そのことが、そっくりそのまま愛と感謝の証明になり、同時に、完全無欠さの象徴にもなるのだから、「本当は、お金しか見えていない」のに、お金以外のすべても、完璧であるかのように錯覚するには、じつに都合がよい。
つまり、簡潔に言えば、「お金がある」という事実だけをもって、お金以外のすべても「持っている」かのように見做して、崇拝するのだ。
こうしたことは、いまの世の中では、まったく日常的に、行われている。
そうして、あなた自身はというと、「お金がない」ということは、「愛も感謝もない」ということになり、発言権も、当然ない。
ここに、はっきりと、弱肉強食の構造ができていることが、看ては取れないだろうか?
『お金とは、愛と感謝のエネルギー』。
この命題ひとつで、億万長者にまで昇り詰める、ほんのひと握りの「勝者たち」がいて、その勝者たちにお金を差し出しつづけることだけが使命の、無数の「敗者たち」がいる。
この支配構造は、永遠に変わることはなく、ほんの一握りの「強者たち」が、無数の「弱者たち」を永遠に支配する。
あなたは、どうだろうか。
こうした支配構造において、確実に勝者/強者になる方法をわたしが教えることはできないが、敗者/弱者の地位を免れる方法ならば、ある。
単に、その世界観に、参加しなければよいのだ。
つまり、この場合でいえば『お金とは、愛と感謝のエネルギー』という命題が真実であるか否かに、そもそも無関心。じつは、それだけで、十分だ。
今回のテーマにかぎらず、特定の世界観に参加するか否かは、じつは、自分で自由に決められる、という事実を知っておくと、とても役に立つ。選択権を行使するとこに慣れていて、そのことがあなたにとって「あたりまえ」になったとき。
言ってみれば、そのとき『世界は、あなたのもの』だ。
今回のような場合。
あなたは、どうしたいだろうか?
自分が勝者になれる場合のみ、参入する。というのは、いかが?
読了されたら…
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