20年程前の当時のアヤワスカ日記より⑤
部屋の電灯は完全に消され、火を灯されたロウソクが、部屋を薄暗く照らしている。
1時間ほどが過ぎた頃、外では大雨が降り始めた。夜の8時に始まった儀式は、明け方まで続けられる。一杯目のアヤワスカに反応する人はほぼ少ないと聞いていたが、女性の中には、既にその効果が現れ始めている人がいた。
私は、自身に起きるかもしれない変化に期待と不安を抱きながらも、それを冷静に味わい観察しようと身構えていたし、アヤワスカが人に及ぼす影響を直に見たかったので、周囲の変化を至極冷静に眺めていた。すると、件の女性は、ぼんやりと宙を眺めていたかと思うと、やがて立ち上がり、バリ舞踊のような仕草を見せ始めた。表情は恍惚、至福に満ち、ひらひらと舞っている。
やがて2時間ほどが過ぎた頃、シャーマンはドラを叩き、二杯目のアヤワスカを注ぎ始めた。なかには効果が現れ始め、一人で立てない人も出始めた。私はまったくの素面で、なにも変化が起きていなかった。二杯目のグラスを煽ると、儀式が再開された。
二杯目から既に一時間が過ぎた頃、周囲で変化が起き始めた。隣に座っている男性は、嘔吐を繰り返し始める。彼のみならず、向かいに座っている女性も何度もえづき、涙目になっては目を拭って、何かに耐えている。また、目を瞑って手のひらを合わせ、激しく体を揺すり始めた女性もいる。なかには、顔をしかめて何かを追い払っている仕草をする人もいる。幻覚症状が見え始めたのだろう。しかし、それぞれが何を見ているのかは、その人しか分からない。私は自分に現れる変化を心待ちにしていたが、まだ何も起きない。少し気持ち悪いという気分はあったが、嘔吐にまでは至らない。
夜中の12時を過ぎ、雨はさらに激しく嵐のように降り始め、雷は何度も轟音を響かせ、儀式場の建物を稲光が包んだ。
そして二つ目のドラが鳴る。なかには意識が朦朧としているように見える人、一人で立てない人、それぞれが自分の意志で三杯目のアヤワスカをもらう。私はもちろん列に並んだ。しかし、私には何も変化は起きていなかった。
アヤワスカは人を選ぶ、という。つまり、誰にも彼にも、何かが起きる魔法の薬草ではないのだという。選ばれなかった人は、啓示を得ることも何かを見ることもない。なかには、何も起きない人もいれば、ただ気持ち悪くなるだけの人もいる。
私は、選ばれなかったのだろうか? 三杯目のアヤワスカを煽った。
やがて儀式は終盤になった。シャーマンとアシスタントたち五、六名が皆、数珠を繰りながらマントラを唱え始める。
「オームナマハァ、シヴァーヤ、オームナマハァ、シヴァーヤ、オームナマハァ、シヴァーヤ」
最初はゆっくりと唱えられていたマントラだったが、次第にスピードが速くなる。トランス音楽と、その超高速のマントラが、私の腹の中から何かを押し出すように働きかけているのが分かる。高速でまくしたてるようなマントラ、既に、シヴァ神を称えるその文句、「オームナマハァ・シヴァーヤ」は、「ナマシヴァナマシヴァ」としか聞こえない。
ナマシヴァナマシヴァナマシヴァナマシヴァ…。
これ以上は不可能と思えるまで、気が狂うほどに高速にまくしたてられるマントラ。
やがて、腹からせっつくような圧力を感じたかと思った次の刹那、私は思いっきり吐いた。もどした袋の中を見ると、食べてもいない、スイカの種のような黒い塊やタピオカのような丸い塊がいくつも混じっていた。儀式に合わせ、前日から断食をしていたので、こんなものが混じっているはずがないのだが…。
アヤワスカを飲んで嘔吐することは、実は浄化された証拠でもあり、むしろ好ましい現象だという話を聞いたことがある。私は、何も幻覚めいたものも神の姿を見ることもなかったが、少なくとも自分が浄化されたのだと思うようにした。
こうして、初めてのアヤワスカは終わった。
儀式が終わると、参加者はお互いに抱き合い、握手をし、頬にキスをしたりもする。それぞれが何らかの啓示を受け、無事に「生還」できたことを喜び合う。
祭壇に供えられていたバナナをもらった私は、嵐が過ぎ去った薄暮の夜空を見上げながら、ゆっくりとバナナを食べていた。シャーマンは既に、車で儀式の場から去り、残された参加者は、水を口にしたり、お互いの経験を話したりしている。
いささかの疲労と虚脱感、そして大きな落胆。
自分には何も起きなかった。
だが、バナナを食べ終えた頃、それは始まった。
つづく…
