プロフィール3のつづき。

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スキーにハマる


バイト仲間と一緒に行ったスキー。
秋田では、毎日のように滑っていましたから、どんな斜面でも簡単に滑れると思っていました。

ところが、コブ斜面に行くと全く滑れません。
オリンピックの正式種目になったモーグルでは、ハイスピードで、いとも簡単に滑っている映像を見ています。

「なんじゃこれ」

できないことに対しての、克服心が芽生えました。

クリスマス・イブにひとり車中泊でスキー


そして、クリスマスイブでも一人で車中泊するほど、スキーにのめり込むようになっていったのです。

バレーをやめ、単位を取りまくったおいたおかげで、1,2年で卒業単位の7割8割を既にとっていました。
「野外教育」という専攻を選択し、スキーが出来る環境をせっせと作りました。
しかし、周りにモーグルをする人なんていません。

当時はまだ珍しかったモーグルコースを探し求めて、ひとり車中泊で練習しにいったものです。

野外教育は、キャンプ生活を通して子供を教育したり、自然環境をテーマにした研究分野を言います。

例えば、登山でも一般の登山コースは通らずに、子供たちの背丈以上もある藪のなかを「やぶこぎ」をさせて進んだり、沢の中に入って「沢登り(沢下り)」をさせます。



先が見えない中を自分たちで道を切り開いていく、やぶこぎ。
靴やズボンがぬれた状態でも我慢しながら進まないと目的地まで行けない沢登り(沢下り)。

そういった自然体験を通して、生きる力を身につけさせます。

登山後はひと回りも二回り大きくなった子供たちがいました。
スタッフである僕らも、実は子供以上に学びが多い経験でした。

僕自身も、やぶこぎや、沢登りをすることで、バレーに挫折し、大きく空いた心の穴が少しずつふさがり、新しい自分に変わっていくようでした。

夏休みは40日間、東北にある研究室のキャンプ場で過ごし、1週間弱で入れ替わる子供たちを相手にしていました。



大学院に合格するも、スキーがしたくて辞退


野外教育研究室には、スキーをする目的で入ったのですが、次第にキャンプにも興味がわき、一時は大学院も目指します。

正確には、大学院の入試も受け、合格。
しかし、大学卒業1週間前に大学院を辞退。

やっぱりどうしてもスキーがしたかったのです。
そして、就活も一切やらないまま、スキーがやりたいという想いだけで大学を卒業。

それから3シーズン、夏は工場などで働き、冬は長野県白馬村にあるスキー場のモーグルスクールに入って籠もるという季節労働生活を送ります。

スキースクールでビジネスを学ぶ


3シーズン目にはスクール主任を任され、売上げを160%アップさせることにも成功。

その夏から年間通した会社組織に変わり、立ち上げ部隊として、兵庫、大阪、東京、埼玉と、1年ごとに新しい部門の立ち上げに携わりました。

レッスンでは人に「見せる」「教える」ということも求められ、今の勉強会やセミナーにも大きく役立っています。

また、アメリカブランドの輸入販売代理店として物販もやらせてもらい、ホームページも自分で作って、ネット通販も行うようになります。

スキーのインストラクターから、今のインターネットを活用したビジネスへと移れたのも、この頃の経験があったからこそです。

この会社の社長とは同時期にスクールに入り、会社設立も一緒に取り組みました。

今ではスクール業にとどまらず、国内数カ所のスキー場運営、中国のスキー場運営など、業界でも注目される企業へと成長しています。

僕がいた頃は社員ではなく、一人一人が個人事業主として所属している形でした。

給与も基本歩合です。
そのおかげで、時間労働ではなく、与えた価値によって収入が得られることを学んだり、節税に関することを学ぶ事ができました。

アメリカのブランドがなくなり、物販から撤退、群馬のスキー場で再びスキーのインストラクターに戻った時は、1度目の結婚したばかりで、半年間無休で無給ということもありました。

夏場のトレーニング施設としてスキー場内に建設し運営する予定が、工事が難航しオープンが4ヶ月ほど遅れてしまったのです。

その間売上げは0、オープンしても時期を外してしまったため、売上げもさほど上がらず、その責任として無給としました。
良くも悪くも「ビジネス」というものを学ぶ事ができました。

そしてその冬、父親が亡くなったという知らせが届きました。
父親は自ら死を選んだのです。


つづく
プロフィール5