かなり以前のこと、私が心屋塾のカウンセラー始めたばかりの頃だから15年くらい前になるかな。
師匠ぢんさん(心屋仁之助さん、現在Jin佐伯仁志さん)の
オープンカウンセリングやセミナーやBeトレに見えてる方で、顔見知りになり、私が仲間と開催した坐禅の会にも参加されてFACEBOOKで友達になった方がいた。
毎月顔を合わせるし、その方も愛猫家で猫の写真をよく投稿されていて猫仲間と感じていた。
私がるるを飼い出した頃ですね。
その方の猫ちゃんが亡くなってしまった後、その方が「辛いから他の人の猫の投稿とか見たくない」と、確か書いた事があった。
もっと厳しい言葉だったような印象がある。
で、私は日常的にるるの写真を投稿していたし、心屋の活動も盛んにしていたので投稿頻度も多く、その方の目にるるの写真が触れると申し訳ないと思って、そっと友達を削除したことがある。
その頃、私は「猫を亡くす」という経験をしたことがなかったので、その人の感じる心がわからなかったのだが、自分がもう三匹猫を亡くした今、逆で、私は他人のところの猫ちゃんを見たいと思ってしまう。
特に動画は見たくて、るると同じ種類の猫や、似てる猫が動いているのを見ると、すでに懐かしく、「そうそう、こうだったよね」と思うのだ。
決して「自分の猫は死んだから他の猫を今は見たくない!」とはならないのだ。
人ってそれぞれ違いますね。
その方は猫を亡くされてから、心屋塾に見えなくなったようだけど、どうされているかな。
その後また猫を飼ったのかな。
普段思い出すことはないのだけれど
猫が死ぬとなぜかその人のことを思い出す時がある。
もしかして、猫の画像を見たくない!のではなくて、いかりんの投稿を見たくない。っていうのもあったのかなって「1%くらい」今思った。
うんうん、投稿頻度が多いししつこいしくどいかもしれないね。知らんけどね。
私は今、亡くなりそうな猫を看取っている人達を見て癒されている。なんでしょうねこの感覚。
「わかるよわかる」って言いたいのか。
どうして亡くなる時は苦しいんだろうね。何もできなくて辛いよね。と共感したいのか。共感して欲しいのか。
全ての猫は、自分の猫と同じ。自分の猫みたいなもの。
そんな感じかもしれない。
うちの猫より可愛いな〜と人の猫を見て思うことも多いし笑。「うちの猫が一番!」とかではない。
決してその人を批判しているのではなく、それぞれ感じ方が違うと改めて改めてわかったということ。
でもまた猫と暮らしていたらいいなと勝手に思う。
これも押し付けか。。。
押し付けはよくないね

