4年前の1月31日にレオが亡くなって感じたこと、考えたことは
色々あるのだが。
「もう、このごろごろも聞けなくなる時がくるんだな」という事が
リアルにわかったのが
その一つ。
猫は、嬉しい時ごろごろと喉を鳴らす。
ここ4ヶ月くらい毎晩顔の隣でるるが寝ていて
時には私の腕を腕枕にして寝ているのだが
るるの体に耳を寄せて「ごろごろ」を聞く時
いずれこれも聞けなくなるのだな、
だからちゃんと聞いて覚えておこう。と思ったりする。
他の猫のごろごろも鳴き声も(それぞれ全然違う)
覚えておこう。忘れないでおこう。と思う。
そんな風に、死をいつも考えながら暮らすのも
変かもしれないが
たぶん猫達の方が私より先に亡くなる可能性が
圧倒的に高いので
亡くなったらもう「失うこと」を意識してしまうのだ。
人間の家族が亡くなっても
遺体にそんなにベタベタすることはないと思うが
(辛くて見れないということも大きい)
猫の場合は生きていても亡くなっても
火葬するまでずっと添い寝したいくらいだった。
実際はアイスノンを載せていてかちんかちんで冷たいし
そうはできないのだが。
そう、遺体のあるお部屋は冷房を効かすので
何かと色々ある。。。
生きている間だけだな
ということが
無限にあることが
亡くなるとわかるものだ
昨夜もるるのごろごろを聴きながら
泣いてしまった。
いつかこれが聞けなくなる時
それはあと10年も経たないうちだろうし
もっとレオのごろごろを聞いて
もっとベタベタしておけばよかった
と後悔してるんだ
