人生賛歌の顔をした、静かで深いホラー
映画「サンキュー、チャック」
2024/アメリカ/111分
<監督>
マイク・フラナガン
<原作>
スティーヴン・キング『チャックの数奇な人生 If It Bleeds』
<キャスト>
トム・ヒドルストン、
キウェテル・イジョフォー、
カレン・ギラン、
マーク・ハミル、
ミア・サラ
■ 鑑賞までの道のり
なかなか良い作品でした。
事前に少し情報を入れてから2回目を観ると、より深く理解できて、さらに楽しめるタイプの映画だと思います。
できれば2度目の鑑賞もおすすめです。

実はこの作品、劇場公開時はスルーしようと思っていた作品でした。 だからU-NEXTポイントにて鑑賞したのです。
スティーヴン・キング原作で面白そうなのに、 あのポスターに食指が動かず……なんと駄目なセンサーだったと反省です。
ヒューマンホラーミステリーという前情報もあり、 ブロ友さんの記事もあえて全部読まずにいたのですが、 どうも皆さんの評判がいい。
世間の声に流されるほくとは、
「これは見ておいたほうがいいか」
と劇場を探しましたが、 すでに遅い時間か朝イチのみの上映。
ということで、5/23 横浜ブルク13にて朝8時50分の回で鑑賞。
この作品はネタバレなしで語るのがなかなか難しいので、ここから先は【完全ネタバレ】を含みます!
まだ観ていない方は、ぜひ映画を観てから戻ってきてくださいね。
このレビューでは、映画の構造やテーマをホイットマンの思想と重ねながら、ラストに潜む“静かな恐怖”について考えていきます。
***********************
■内容
映画は、時間が「現在から過去へ」とさかのぼる、ユニークな3部構成で描かれます。
1. 世界の終わりと謎の男(第3章)
舞台は、大地震やネット不通などの天変地異により、文明が崩壊しかけている終末の世界。 絶望する人々の前に、突如として街の看板やテレビをジャックする謎の広告が現れます。
そこに映っていたのは、ごく普通の笑顔の男と、
「チャールズ・クランツに感謝を。素晴らしい39年間をありがとう」
というメッセージ。
誰もが
「チャックって誰だ?」
と困惑する中、 実はこの世界の崩壊は、脳腫瘍で余命わずかな会計士・チャックの命が消えかけていることと連動していることが明かされます。
2. 人生が最も輝いた瞬間(第2章)
時間は少し過去へ戻り、チャックが元気に働いていた時代。 地味で平凡な会計士だったチャックですが、ある日、街頭のドラム演奏に合わせ、 まるで魂が解放されたかのように見事な情熱的ダンスを踊り明かします。
彼が「生きている喜び」を爆発させた、人生で一番美しい瞬間が描かれます。
3. 少年時代と屋根裏部屋の秘密(第1章)
さらに過去、チャックの幼少期へとさかのぼります。 両親を亡くした彼は、風変わりな祖父母に引き取られます。
その家には「決して入ってはいけない」と言われていた屋根裏部屋がありました。 やがてそこへ足を踏み入れたチャックは、ある不思議な幻視を通して、自分の「未来の運命」を知ることになります。
********************
■まずはとりあえず最初の感想(笑)
ホラーの帝王スティーヴン・キング原作ですが、今作は 『ショーシャンクの空に』や『グリーンマイル』のような、心に染みるヒューマンドラマのような印象。
「1人の人間の中には、広大な世界(宇宙)が丸ごと1つ存在している。 だから、彼が死ぬときは、彼の中の世界も一緒に終わるんだ」
冒頭の「世界の崩壊」は、実は死にゆくチャックの脳内で、 彼自身の記憶や世界が消えていく様子を表していました。
だからこそ、世界(彼自身)はチャックの39年間の人生に「ありがとう」と告げていたのです。
ミステリーとしての謎解きの面白さと、 「平凡な人生も、それ自体が奇跡で美しい」と思わせてくれる温かいメッセージが融合した傑作だったのではないかと思いました。
と、まずは無難な感想です。 でもそれだけではないはず。
さてここから少しほくとの宇宙を広げてみましょう(笑)
■最初に感じたこと ― 眠気を吹き飛ばした“あのダンス”
この物語は3章→2章→1章と時間軸が戻っていく作品。
前日夜更かししてしまったので、朝イチからの上映に少し眠気と戦っていたほくと。
しかし 第2章のダンスシーン で一気に覚醒しました。
ストリートミュージシャンの女性がドラムを叩く。その音だけが、ざわつく空気の中で異様にクリアに響いていた。

その前に立ち止まる、ひとりの男、チャック。
会計士らしい、きっちりとした佇まいのまま、ただ音を見つめている。
踊る理由なんて、どこにもない。
踊らない理由なら、いくらでもある。
それでも彼は、ほんの一瞬だけ目を伏せる。

そして次の瞬間、何かを決めたように一歩、踏み出した。
その瞬間だった。
ドラムのリズムが、わずかに変わる。
まるで彼の決断を待っていたかのように。
チャックの身体が、ぎこちなく、しかし確かに動き出す。
それに呼応するように、彼女のビートが熱を帯びていく。
観客が集まり始める。
いつの間にか、それは“見ている群衆”ではなく、ひとつの輪になっていた。

輪の中のひとりの女性がリズムを刻む。
そしてチャックは、一度だけ彼女を見る。
次の瞬間――彼は彼女を誘った。
チャチャのような細かなステップを刻みながら、相手のリズムに応えていくその感じが実にいい。
決して派手なダンスではないのに、なぜか目が離せない。


そのコール&レスポンスとしての三位一体のダンスシーンは圧巻だった。
その一瞬だけは、物語が説明ではなく“リズムそのもの”になっていた。
今作品の最大の見せ場だったかも!
“人生の分岐点となるダンス”
この場面で封印していたダンスを解放したのでした。生きているからこそダンスを踊れるのです。
そしてなんとも彼のダンスがいいのですよ。 キレッキレの最近のダンスではなし、あの「ナートゥ・ナートゥ」のようなエネルギーと情熱を感じるダンスともまた違うのですが、とにかく良いのです。この感じわかりますか!?
この瞬間、ほくとの中で
「この映画はただの回想物語じゃない」
とスイッチが入ったのでした。そしてこのあたりから作品の骨格すべては自分の中の出来事(思い)なのではないかと推理し始めたのです。
ただし、あの“開かずの間”はまだ理解できませんでしたが。

またチャックのこのシーンでの動きは、1章に出てくる祖母が幼き日のチャックに踊りを教えるシーンと同じだったのですよ。 それは何をかいわんやですよね。
そして祖母役のあのミア・サラに、懐かしさを感じた方も多かったのではないでしょうか。
またその1章では 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の“父と母が踊る場面”へのオマージュ を思い出させるシーンも出てきます。
■ ホイットマンの詩が、この映画の“背骨”になっている
劇中で何度も引用されるのが、アメリカの詩人 ウォルト・ホイットマンの作品。
アメリカでは学校教材にもなるほど有名で、 『ソフィーの選択』『君に読む物語』『今を生きる』など 彼の詩が登場する名作も多いですね。
代表作『自分自身の歌(Song of Myself)』にはこうあります。
「私は矛盾しているだろうか? いいだろう、私は矛盾している。 私は広大であり、多数性を内包している。」
ホイットマンの思想は、
「人間はひとつの宇宙である」、
ある種なんでもOKの世界観
というものみたいです。
ここが一つのポイントかと。
この映画のチャックもまさにそう。
- 真面目な会計士
- 路上で踊る自由人
- 恐怖に怯える患者
- 誰かの孫であり、同僚であり、通りすがりの他人
その全部が「チャック」なのです。
普通に考えると、矛盾しているかのようにも見えてしまいます。しかし、 むしろ矛盾こそが人間の豊かさなのかもしれません。
映画は逆時系列で彼の人生をほどきながら、 ホイットマンの思考そのものを映像化した作品 という見方もできるのではないでしょうか。
ただ、アメリカの学校では彼の詩が当たり前のように教材になっているくらい有名らしい。しかしアメリカで教育を受けていないし、ホイットマンを知らない私としてそこは、映画を観ただけではそこは深堀りできませんでした。
ブログを書くために少し調べてみて少しその辺がわかったのですが、 そこを理解して再度鑑賞すると、さらにこの作品を深く読み取ることができるかもしれませんね。
■ 宇宙カレンダーと祖父母の対比 ― “科学”と“感情”の二つの軸
劇中には カール・セーガンの“宇宙カレンダー” が登場します。
(宇宙カレンダーという視点)
宇宙誕生から現在までを1年に圧縮した比喩で、 人類の歴史なんて大晦日の数秒にすぎないというもの。
この視点は、チャックの人生を“宇宙的スケール”で見るための仕掛けにもなっていますね。
(科学と感情を象徴する祖父母)
さらに面白いのは、チャックを育てた祖父母の対比。
- 祖父(マーク・ハミル):科学・数学・理性・宇宙カレンダー
- 祖母(ミア・サラ):芸術・感情・ホイットマン的世界観
祖父はきちんと安定した生活を送るために、会計士を進めます。
祖母はどちらかというと人生を楽しめばいいタイプ。

この二つの価値観が、 チャックという“ひとつの宇宙”の中で共存しているのです。
つまり映画は、
科学(宇宙の時間軸) × 感情(人間の内的宇宙)
という二重構造でチャックを描いていたのではないかな。
この対比からみると、映画の奥行きが一気に深くなるでしょう。
(科学と感情が交わる“ひとつの宇宙”)
祖父の意見から会計士になったけど、祖母から教わったダンスがどうしてもどこかで忘れられないと言う感じですよね。

このマーク・ハミルとミア・サラが出演していた他の作品から、 今作品に紐づけできるような内容もありますが、ここではカットしておきます。

たぶんこの監督がいたるところで映画好きな仕掛けをしていたと思われます。
■そして最後に、スティーヴン・キングは“とんでもないホラー”を仕込んでいた
ラストに近づくにつれ、単なる人生賛歌の感動作で終わるのかと思っていました。しかし、この映画の本当の恐ろしさは、まさに最後に待っていました。
そこまでは一見すると、
- 「人生って美しいよね」
- 「人はつながっているよね」
という優しい物語に見えるのです。 けれど、スティーヴン・キングは“優しさだけ”で終わらせる作家ではありません。
♦ “鍵のかかった部屋”の正体
ほくとも最後まで推理できなかった、あの“鍵のかかった部屋”。 あれは単なる象徴的な空間ではなく、
「誰もが必ず経験する未来が見えてしまう部屋」
として描かれているように思えました。
つまり―― 「死の自覚」の部屋。
そこは誰も代わってくれない。
誰とも共有できない。
逃げ場のない、最後の場所。
祖父はその辛さを知っていたからこそ、鍵をかけ、誰も立ち入らせなかったのでしょう。
♦“死を知ってしまった”チャックの世界
幼いチャックがその部屋に入った瞬間、世界の崩壊が止まるように“感じられる”描写があります。
これは“現実の世界”ではなく、チャックの内面世界=彼の宇宙の話として解釈できる場面です。
彼はそこで
「自分がいつか死ぬ」
という事実を知ってしまった。
その瞬間、死への恐怖を抱えて生きる苦しさを背負うことになったのかもしれません。
ただし、それを生きる糧にするのか、絶望として抱えるのかは本人次第でしょう。
♦ これはあくまでほくと的解釈ですが
“あるものを見てしまった”という事実は、 チャックの宇宙が静かに閉じた=彼にとっての世界が終わった、 ということなのかもしれません。
怪物も幽霊も出てこない。 しかし、それ以上に恐ろしい世界がここにあります。
自分が死んだとき、 自分の見ている世界はどうなるのか。
映画はその問いを、観客自身に突きつけてくる。
■ ホイットマンの肯定と、キングの冷たい現実
ホイットマン的な
「人生は広大で、すべてはつながっている」
という肯定の裏側に、
キング的な視点で見ると、
「その宇宙が消えるとき、何が起きるのか」
という冷たい現実がそっと置かれている。
この二つが交差したとき、 『サンキュー、チャック』は単なる感動映画ではなくなります。
それは、 人生の輝きと、死の不可避性が同時に存在する、静かな実存ホラー。
と勝手に解釈してしまうのですが、当たらぬも八卦当たるも八卦。
適当なことを書いていると
「地獄へ落ちるわよ」
みたいになってしまうかも(笑)
◆ほくと的まとめ — 人生賛歌の顔をした、静かなホラー
『サンキュー、チャック』は、ホイットマンの思考そのものを映像化した作品である。 一人の人間の人生を宇宙規模で祝福しながら、 最後には“誰も逃れられない未来”をそっと突きつけてくる映画だった。
だからこそ、観終わったあとに残るのは、 優しさと、そしてほんの少しの震え。
そして同時に、 「自分はこれからどう生きていくのか」を静かに考えさせられる作品。
人間は誰しもいつか死ぬ。
けれど、その人生で得た思い出や輝いた瞬間は、 それ自体がひとつの壮大な宇宙であり、 確かに“生きる価値がある”と教えてくれる。
この作品は、そんな人生賛歌の物語でした。
今回も観ることをためらっていて、U-NEXTのポイントで鑑賞したら またまた良作にあたりました!
とにかく、監督の“映画愛”のようなものが全編から伝わってきました。 劇中にはさまざまな仕掛けが散りばめられていて、前述していますが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を思わせるシーンをはじめ、細かな引用が随所に登場していたかと思います。
さらに、映画『カバーガール』のジーン・ケリーとリタ・ヘイワースまで現れ、チャックの潜在意識に刻まれていくような描写も印象的でした。
評価:5点満点中 3.9。
(画像すべてお借りしました)
************************















