戦争を知らない世代にこそ、
伝えたい“民の叫び”
映画『沖縄の民』
(1956年/日活/96分)
- 監督:古川卓己
- 原作:石野径一郎『沖縄の民』
- キャスト:
左幸子、
安井昌司、
長門裕之、
金子信雄、
西村晃、
岡田真澄、
二谷英明
<作品概要>
沖縄戦を背景に、戦争という異常心理状態の中で生きる人々の姿を、セミ・ドキュメンタリータッチで描いた作品。
疎開船「対馬丸」の悲劇、学徒兵の苦悩、飢えに苦しむ避難民、そして戦後の沖縄再建への希望まで――。
左幸子、長門裕之、安井昌二らが静かな熱演を見せる、戦後11年目に制作された貴重な一作です。
<内容:ネタバレ注意>
昭和十九年、サイパン島が陥落、次の戦場沖縄に本州から兵隊が続々送りこまれてきた。
一方沖縄決戦を前に内地向け集団児童疎開の声が高まり沖縄市白石国民学校の佐敷真知子先生(左幸子)は児童の父兄を説得、第一回疎開船ツシマ丸を那覇の埠頭に送った。
彼女も同船する筈だったが予定が変り愛情を寄せる豊平先生(安井昌司)と十三人の教え子を涙のうちに送ったのだ。
しかしツシマ丸は敵の魚雷攻撃で沈没。報せを聞いた父兄の怒りは大浦校長(織田正雄)と真知子に向けられ校長は自殺した。
昭和二十年四月一日、米軍は沖縄に上陸。五月には戦況が悪化、学生隊も戦列に加わった。鉄血勤皇隊の光一(長門裕之)も、その一人だが学友を失い応援部隊も着かず、口惜しさに震えるばかりだった。
その頃、北部の避難民は飢餓に苦しんでいた。
教え子を連れて避難してきた真知子も敵陣近くまで危険を冒し甘藷掘りに行った。
六月、南部戦線も悪化、下旬には沖縄戦の勝敗は決った。
司令官は自害、今後は参謀部を中心に地下工作に入ることになった。
学生隊も解散、野村校長は重傷を負い、「沖縄再建を頼む」の言葉を残して死んだ。南部戦線も終った。米軍は避難民の投降勧告を始めた。疲れ果てた住民と学生は沖縄再建を期し戦列を離れた。
収容所に入った光一(長門裕之)は野村校長の言葉を胸に命がけで降伏説得に努めた。
七月沖縄戦は三十万の犠牲を払って終了した。
続いて終戦。
十一月下旬には沖縄向け引揚船が那覇に着いた。
出迎えの真知子は引揚者の中に豊平先生を見出し、ツシマ丸事件で教え子の殆どが犠牲になったと聞かされ愕然とした。
真知子はこの犠牲を無駄にせぬため自ら沖縄再建へ平和の戦士となることを固く心に誓った。
(映画.COM)
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沖縄復帰1972年(昭和47年)5月15日。
今作品は、まだ沖縄がアメリカから返還される前に製作された作品、ということを踏まえてお読みください。
この映画は数年前に初鑑賞後なかなか記事を書かなかった、いや書けなかった作品です。しかし、映画ブログレヴューとして残しておくべき作品だと思いましたので、だいぶ時間が経過しましたが思い出しつつ記事アップです。
「対馬丸が沈んだ日から、沖縄再建の祈りまで」
■口止めされていた悲劇の対馬丸事件
対馬丸事件の背景と隠蔽
- 1944年8月、疎開中の学童らを乗せた「対馬丸」が米潜水艦の魚雷で沈没
- 約800人の子どもを含む多くの犠牲者
- 国は疎開政策への影響を恐れ、事件を隠蔽
- 生存者にも口止めがされていたという証言も
この事件は、国家の判断がいかに民間人の命を左右するかを痛烈に示しています。
作品の特徴は、小学校から大学生までの生徒、そして先生の民間人側からの視点で尚且つセミドキュメントタッチで描かれている点が評価されると思います。
原作者の石野径一郎さんは、あの「ひめゆりの塔」の作家でもあります。
内容のところでも書かれていますが、1944年8月の対馬丸撃沈事件を題材にしてそこから沖縄戦全体に物語を広げています。
対馬丸事件とは
この対馬丸撃沈事件は、太平洋戦争中の昭和19年、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた「対馬丸」が、アメリカ軍の潜水艦の攻撃を受けて沈没。
800人近い子どもを含む多くの犠牲者が出ました。
そして当時としては、サイパンが陥落して戦況は悪化していました。そのような中で次は沖縄での決戦とみられ、厳しい食糧事情もあって国は「足手まといになる」と子どもたちの疎開を促していたことが、当時の資料から分かっているようです。
ですから対馬丸が沈没した事実が広まることで、疎開が進まなくなることを恐れ、しばらくはこの事件の事が隠蔽されていました。
時として国家が国民にこのようなことを行うことは、どの国でもあることを歴史が証明しています。当時は、生存者もきつくこの事件の事を話さないように強く口止めされていたようです。この事件では、国の一方的な判断によって、多くの幼い子供たちの命が奪われてしまいました。
劇中でもその悲惨な状況が非常にリアルに描かれていました。この対馬丸事件の事は少しばかり知っておりましたが、改めてみても悲惨な出来事でした。
この物語はアニメや絵本などにもなっていますので、興味のあるかたはご覧いただくとよいかと思います。
戦争中の本当に悲しい物語です。
戦争がなかったならば・・・・・ですけれどね。
さて本題に戻りましょう。
■語られなかった真実、封印された沖縄の声
この作品は沖縄戦を華燭なく描きすぎているために、なかなか観ることができなかった作品だともいわれているようです。
数年前に今はなき「ギャオ」などで配信され、観ることができましたが、現在はなかなかお目にかかれない作品かも知れません。
それは描かれている内容が一般市民がアメリカ軍に投降する際に日本軍が障壁になっていたり、またその軍隊も劇中では、防空壕に避難しようとした民間人に対して
「一般人は防空壕から出ていきなさい」
という始末で、それらをしっかり作品の中で描かれています。
極限状態で軍隊は作戦を遂行することを第一にし、一般人の安全は二の次ぎ。
ただそのような事は沖縄戦以外でもあったはずでしょうね。
この作品は、戦争という極限状況の中で翻弄される“普通の人々”の姿を、淡々と、しかし力強く描いています。
作品のすごさは、戦闘の派手さや英雄譚ではなく、名もなき人々の苦悩と選択に焦点を当てていることでした。
■静かな怒りが燃える映画
爆音や派手な演出ではなく、淡々と描かれる人々の苦悩と選択。
それが逆に胸に迫る。
「戦争って、こういうことなんだ」
と、静かに突きつけられる感覚。
■イモを掘るシーンが泣ける
飢えに苦しむ避難民たちが、命がけで敵陣近くの畑へ。
真知子先生が子どもたちを守りながらイモを掘る姿に、涙腺が…。
■ ラストシーンに込められた静かな衝撃
そして、忘れられないのがラストシーンです。
戦後、教室である子どもが作文を読み上げます。
「早く日本に帰りたいです。お父さん、お母さんに会いたいです……」
上空に米軍機が飛行する。
その子供の声は、米軍機の爆音にかき消されていきました。
まるで、子どもたちの願いがまたしても大きな力に押しつぶされていくようで、胸が締めつけられました。
前述しましたが、この作品が製作された当時はまだ沖縄は日本に返還されてはいないのです。
戦争が終わっても、沖縄はまだ
「帰れていない」――
そんな現実を、静かに、でも鋭く突きつけてくる演出でした。
■ 最後に
『沖縄の民』は、過去の記録をただ映すだけの映画ではありません。
それは、今を生きる私たちに
「何を受け継ぎ、どう語り継ぐか」
を問いかけてくる作品です。
静かだけれど、深く心に残る映画でした。
このような作品を、もっと観る機会が増えてくれることを願います。
きっと、何か大切なことに気づかせてくれると思います。
出演している俳優陣は、今では誰もが知る名優ばかり。
撮影に関わった方々にも、当時の話を直接聞いてみたいところですが、多くはすでにお亡くなりになっているのが残念です。
対馬丸事件や民間人の避難と犠牲、学徒動員――。
この映画が描いた苦しみと願いを、私たちは“ただ観るだけ”ではなく、語り継いでいかなくてはなりません。
静かなる“民の叫び”が、これからの平和を問いかけているのです。
5点満点中 4.0
(画像全てお借りしました。一部上映作品と関係ない画像を含んでいます)















