シベリアポーランド孤児を救った日本(1) | ほくとの気ままなブログ

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世界が愛した日本から


慈愛のキャッチボール 


ポーランドの子どもたちを救った日本


なにやら、隣国との関係がぎくしゃくしている今日この頃。何か良い解決方法はないのでしょうかねぇ。


さて、あまり日本ではしられていない先人たちの行動によっての徳の遺産、国と国、個人と個人などの美談は日本ならずとも各国でも色々とあるのではないでしょうか。そのなかのひとつをご紹介。親日国としてしられているポーランドと日本のできごとです。


 東ヨーロッパのポーランド。史上最初のスラブ系教皇としても有名だったローマ法王ヨハネ・パウロ二世は、このポーランド出身でした。ポーランドは、かつて国土を三分割されてすべての国土を失ってしまったという歴史がある国です。
1917年、ロシア帝国が革命で崩壊すると各地で激しい内戦が繰り広げられました。その混乱に乗じたポーランドは1919(大正8)年11月念願の独立を勝ち取りましたが、流刑の地シベリアにいた10数万人のポーランド人は祖国に帰りたくても帰れない状況下にいました。こうしたなか、親を失った孤児たちはどこへも行き場所がなく生きる場所さえも見つからない状況でした。子供達を、せめて親を失った孤児たちだけでも、シベリアから脱出させなければならなかった。そこで「ポーランド救済委員会」なるものができて欧米諸国に孤児たちの輸送と援助をお願いしたのですが、混乱と緊張がまだ続いていた国際状況のなか各国の反応は冷たく手を差しのべてくれる国はありませんでした。


そんななかメンバーの一人が

「私の叔父は10数年前の日露戦争に召集されて日本軍の捕虜になり、日本に連れて行かれた。でも叔父は数ヶ月の捕虜生活の間、周囲の見知らぬ日本人にとても親切にされたことをよく私に話して聞かせてくれた。そんな日本人ならあるいは・・・・・」

万全が尽き困惑している中ポーランド救済委員会が最後に援助を要請したのが日本でした。

この要請に「よし、手を貸そう」と名乗り出た唯一の国それが大正時代の日本でした。当時のお役人の動きは早かった。ポーランド救済委員会が訪れてからわずか17日で、ただちに救出活動に入ったのです。

当時の外交事例としてはこの日数は極めて異例の早さでした。独立して間もない、そして正式にに日本と国交がない国に対してしかもいち民間団体の要請に対して・・。


救済活動は三年近くにわたって行われ、合計七六五名の孤児たちをシベリアから救出したのです。

写真も掲載されているこちらのホームページもご覧ください


http://www.city.tsuruga.lg.jp/sypher/free/kk-museum/polish-orhpans/polish-orhpans.html
 


しかし救出したほとんどの孤児たちは伝染病や、飢餓で衰弱しきっていました。孤児たちを受け入れた日本国内の施設では、看護婦がつきっきりの看護にあたりました。なかには腸チフスにかかっていた子供の看護にあたった若い看護婦さんは、自らも腸チフスに感染してしまい、殉職してしまった方もいたようです。

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異国の子供たちに献身的な看護をつくしたのは、看護婦のかただけではありませんでした。このニュースは日本国中の人々の同情を呼びました。多くの人たちが慰問の品々、おかしやおもちゃ人形など子供の喜びそうなものを届けてくれ、無料で歯の治療をしてくれる、また散髪を申し出る人たち音楽会などボランティアで行ってくれる人、寄付を申し出てくれる人など後をたたなかったようです。 また皇后陛下(貞明皇后)も、孤児たちと親しく接して、彼らを抱きしめられました。


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孤児のひとりの少女は後にこう述べています。
「どんなに優しくされても心細くてたまらなかった時、孤児収容所を訪問された貞明皇后に抱きしめてもらったことが今でも忘れない」。

こうした中で、彼らの健康や心の傷はしだいに回復していきました。そして回復した子供から順次、祖国ポーランドへ送り届けました。横浜港から、ポーランドに向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がったそうです。見送る医師、看護師、近所の人々の首にしがみつき、泣いて離れようとしませんでした。別れを惜しみながらも、孤児たちは精一杯の感謝の気持ちをこめて波止場に並んで、「アリガトウ」「アリガトウ」を繰り返し、滞在中に覚えた、「君が代」を歌いました。
 同様に神戸港からの出発も、子供たち一人ひとりにバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちは子供たちの幸せを祈りながら、船が見えなくなるまで手を振っていたと伝えられています。 親身になって世話をしてくれた日本人たちは、孤児たちの父となり母となっていたからでしょう。


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ポーランドから日本に大量の感謝の手紙が届きました。
「日本は、わがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。にもかかわらず、わが不運なるポーランドの児童に、かくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表してくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じて、その恩を忘れることは無い。


ポーランド国民もまた、高尚な国民であるが故に、われわれは、いつまでも恩を忘れない国民であることを日本人に告げたい。
ここにポーランド国民は日本に対し、もっとも深い尊敬、もっとも深い感恩、もっとも温かき友情、愛情を持っていることを、お伝えしたい。」

2へ続く