今朝、母親から電話が掛かって来て
こういわれた。
「子育ては 『忍』 の一文字」
うーん、深い!
超ロングセラーで盛大に反抗期をやってきた
わたしの母親のいうことだから
なんとも説得力がある。
記憶を失くした父親に聴いても
きっと、笑って「そうだな」っていうかもしれない。
陽子の子育ては大変だったって、たぶん言うね。
なぜそういう話になったかというと
息子の受験です。
この受験って、本人がするものなんだけど
どうにもこうにも本人は呑気なもので
親だけが、じりじりと焦って、あれこれ心配するってこと
自分が親になって初めて知りました。
心配したところで、何になるわけでもないのですが。
きっとやることないから、きっと心配するんだと思います。(笑)
さて。
先日、息子と、夫と、わたしと、部活の顧問の先生とで
四者面談をやった時のこと。
そのときに、顧問の先生は息子にいくつか質問をしたんです。
全国レベルの強い学校に進むこと。
レギュラーになれないかもしれないこと。
親と離れて寮生活になること。
それを息子はどうかんがえているのかと。
しばらく彼は考えていて、言葉が出なかったです。
しばし、沈黙の時……。
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この質問は、家族でも十分話し合ってきたことだったので
夫も、わたしも、息子の気持ちはわかっているつもりです。
ですから、息子の代わりに、親が代弁することもできました。
先生も、限られた時間での面談でしたので
息子を急かすこともできました。
でも。
その時
その場にいた大人3人は
中学生の息子が口を開くのを
黙ってじっと待っていたのです。
長い長い沈黙のあと
決心したように、息子は語りました。
それは、中学生の息子の精一杯の今の気持ちでした。
正直、そこまで深く考えていなかったことも
隠さず伝えていました。
つたない言葉でしたが
まぎれもなく、息子自身の心からの言葉でした。
わたしは、こうして自分の意志をハッキリと伝えられる
息子を頼もしく思ったと同時に
それを、じっと待っていられたわたしたち大人も
素晴らしいと感動していました。
これもまた、一つの「忍」の形。
コーチングをやっているとき
ときどき、クライアント様にも同様のことが起きます。
まだ、はじめたてのわたしは
この沈黙が怖くて、クライアント様が黙ると
否定されているような気持ちと
罪悪感がざわざわと騒ぎ出して
思わず沈黙を破ってしまったことが何度かありました。
その沈黙に耐えなさい!
と、先輩コーチからアドバイスをいただいて
沈黙は悪いことではなく、クライアント様が考えているとき
自分と対話しているときなのかもしれないと
考えを変えたら、沈黙が怖くなくなりました。
それから、わたしはコーチングをしているときも
インタビューをしているときも、誰かと普通に会話しているときも
沈黙はまったく怖くなくなり、むしろ「よし、来た!」と
歓迎するまでになったのです。
沈黙が待てるようになると、相手の言葉が変わります。
これは、なんともいえないギフトです。
なぜ、こんなことを言うかというと
子どもの気持ちを代弁しすぎる大人が、多いと感じるからです。
そのために、子ども自身の気持ちを言語化する機会を
与えることなく、子どもの心の自立を阻んでしまう。
自分の言葉で語るということは
それだけ自分自身の内面と向き合わなくてはならない
苦しくて辛いことでもあるのです。
それを待ってもらえるか
評価しないで聴いてもらえるか
受け入れてもらえるか
考えだすと、すぐには気持ちを言語化できないこともある。
待っている方は
イライラするし
怒りたくなるし
なんだそんなことか、とガックリ思うこともある。
それでも、なお、親は「忍」の一文字で
子どもの発する言葉を、じっと待ってもらいたいなと
わたしは思うのです。