こんにちは。
Hiroko♪です。
完全じゃないからこそ「完全」の
理由がついにわかりました。\(^o^)/
ヘンなこと言ってるって思った?(#^^#)
すべて完全に出来上がってしまったら
それはむしろ
完全ではないという理屈。
テレビを観ていて
「そうかぁ! そうだったんだぁ~!!」と
自分の腿をバチンと叩きました。
『膝を叩く』って
昔からある表現だけど、
ホントにそんな感じで。
観ていたのは神社仏閣をテーマにした
2時間くらいのBSの番組です。
出雲大社とか
建仁寺とか
いろいろ面白かったんですけどね。
番組の後半に
京都の石清水八幡宮が取り上げられました。
番組の始まりは
食い入るようにみていたものの
さすがに集中力も切れて
ぼぉ~~っと見ていたら
クイズが出されました。
石清水八幡宮の
本殿などの柱や梁には
菊の紋 ・ 橘の紋と
左流れの三つ巴紋が
いくつも配置されています。
ところが。
その中のいくつかは、わざと
「右流れ」に間違って描かれているんです。
これ、うっかり間違ったんじゃなくて
わざとそうしてあるんですって。
なぜだと思います??
答えは
何もかも完全完璧だったら
それ以上の発展はない。
未完だからこそ、その先には発展がある!!
そうなのねぇ~! そうなのねぇ~!!
つまり
少々ポンコツだって何だって(笑)
この未完な私だからこそ完全なのねぇ~と
泣き出さんばかりに(ウソ!)感動したんです。
この理屈で言うと
「発展するものこそ完全」でしょう?
「発展の余地があってこそ完全」・・・だとしたら。
あるある!!
余地だったらいくらでもある!!
それこそ余るほどある!!(笑)
ありのまま、そのままで完全ですとか言われても
本気で「そうだ!」って納得するのは難しかった。
なぜって
完全というのは
それ以上手を加えないことだと思ってたから。
でもでも、
発展の余地がある完全だったら
どんどん手を加えていいってこと。
しかも!
手を加えなくてもいいってこと!・・・でしょ?
でしょ?
だってどっちにしたって発展の余地はあるんだから。
なんて自由で開放的なんだ!!(≧▽≦)
めっちゃ気分良くなって
ゴキゲンゴキゲン(^^♪
別にね
完全になりたいわけじゃないです。
完全に興味があるわけではなくて。
うすぼんやりと感じる
自分のポンコツ加減への不安が
さぁ~っと霧が晴れるようにさっぱりとなくなって
これでいいんだって本当に思える安心感。
これからだって
私はしょっちゅう落ち込むだろうけど
「発展の余地がある」って思ったら
それだけで気持ちが緩んで安心できる。(*^^*)
こんなふうに
自分の中にチカラになるものがあるって
自分に優しいし、強くもなれる。
エネルギーも高められますよね。
石清水八幡宮には
「目貫のサル」という彫刻があって
やはり「完全であることの不完全」を
教えてくれています。
驚きのエピソードがあるんですが
長くなるので次の機会に。
今日も
完全じゃない完全なあなたに
愛と感謝とユーモアが
たくさん巡りますように♡


