名デスクだった金子慶一さんを偲ぶ | マスコミに取材される方法

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新聞社とTV局に21年。PR会社に1年。その経験でプレスリリースの発信とマスコミ登場をサポートします。

今日から
名デスク・金子慶一さんの思い出を書きます。
新人記者だった私と金子デスクのやりとりは
記者教育や取材にも共通すると信じて。
気楽に読んでください。



金子デスクに会ったのは1990年春です。
私は北海道新聞の新人記者として小樽支社に配属されました。
その小樽支社報道部で筆頭デスク(最年長デスク)だったのが金子さんです。
当時、55歳ぐらいだったでしょう。

とても面倒見の良い人でした。
小樽支社の記者は当時、7人いました。

金子さんは月に1回、
1対1で部員と話すことを決めていました。
金子さんから見れば、月に7回の懇談会ですから、
週2人と個別に会っていたことになります。

こんな感じでした。

金子「荒川、今週はいつ飯に行ける?」
荒川「〇曜日が空いています」
金子「本間はいつ空いている?」
本間「〇曜日です」

そして当日は早めに原稿を書き上げ、
金子さんの仕事終了を待つのです。

金子さんが食事をおごってくれました。
「荒川、きょうは何が食いたい?
 寿司か?鰻か?天ぷらか?すき焼きか?」
「それでは鰻をごちそうになります」

お店に入り、ビールを飲みながら約10分間。
鰻の場合はもう少し掛かりますが、
食事が運ばれてくるまでが勉強の時間です。

過去1カ月間の私の仕事を遡って、
良かったことと反省すべき点を指摘されました。

食事が来ると仕事の話は終わりです。
まだ教えてくださいと食い下がると、
「食事がまずくなる」と怒られました。

食事が来てからは
金子さんが好きだった旅(全国の城巡り)や
映画、本の話を中心に楽しく会話したものです。

私は部下というか後輩ができてから、
1カ月に1回、こうした場を設けようと思いましたが、
なかなか時間が取れません。
上の立場になってようやく、
金子さんの素晴らしさが分かりました。

金子さんは私にこう言いました。
「お前が最後の弟子だ」と。

私が入社した1990年はまだ、
原稿用紙に執筆した時代です。
古き良き新聞社の伝統も感じました。

あれから数多くのデスクに仕えましたが
金子さんほど気配りを欠かさない人はいません。
すばらしいデスクに最初に会って、
本当に良かったと思いました。

金子さんは数年前に亡くなられました。
よく怒られました。
愛情と厳しさを併せ持った声で。
今もその声が耳に残っています。