あと残された「城郭建造物」の「塀」「橋」「供侍」「馬見所」等を紹介する「その他の城郭建造物を巡る」シリーズでは、毎回各お城毎に「その他城郭建造物」をお届けしています。併せて、そのお城の特徴的な建造物や普請物の写真もモニュメント的に掲出していきます。

塀(城壁)」の現存は少なく、復元(復興)、摸擬が大半ですが、「塀」の再建によってお城や城下町の雰囲気を醸し出す努力がされていますので、そのような「塀」も採り上げたいと思います。

また「橋(土橋は除く)」も「堀」に架かる等かなりの数のモノが存在していましたが、「塀」同様に現存は少ないです。復元(復興)、摸擬が大半ですが、特徴のある「橋」や「廊下橋」を中心にお届けします。

また、「供侍(ともざむらい」「馬見所」等の特殊なモノもどうぞご覧ください。

お城の「歴史」や「城主(藩主)」、「立地」や「縄張り」については、今までに掲載してきた投稿をリンクしておきますのでどうぞご覧ください。

 

本日も「姫路城(5)」(兵庫県姫路市)です。「世界遺産」「日本100名城」に選定されています。

 

「姫路城」は国宝「天守群」を始め、重要文化財の櫓、門など約80数棟の建造物が現存しています。また、「その他城郭建造物」である「城壁」も各所に多数現存しています。

 

従いまして、「現存建造物」を一つ一つピックアップできませんので、「その他城郭建造物」の「城壁」を紹介する際に、同じ画面に映っている際に紹介していきます。

              

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

今回は、前回記載の重文「との一門」から搦手方向にある重文「との四門」、及び重文「ちの門」から「井楼櫓」が建つ「井戸曲輪」跡へ出て、「帯の櫓」の石段を下りた所にある「腹切丸」跡に築かれた「城壁」を見ていきます。
 
縄張り絵図(赤丸が下記記載の「城壁」が見られるエリア) ↓
 
重文「との一門」は前回ブログでも触れましたが、「羽柴秀吉」時代に近隣の「置塩(おしお)城」から移築された門と謂われています。この「との一門」に「城壁」が繋がっています。
 
「との一門」に繋がる「城壁」の屋根 ↓
 
更に当門を潜り石段を下っていくと、重文「との二門」、「との三門」跡があり東の「三の丸」跡へ出る搦手門である重文「との四門」に至ります。「との四門」の両脇には「城壁」が築かれています。
(※「との一門」から「との四門」の間は特別公開日しか入れませんが、「との四門」は外からは見ることが出来ます)
 
重文「との二門」脇の「城壁」 ↓
重文「との四門」の両脇には「城壁」 ↓
 
さて、再度「井戸曲輪」に戻り重文「帯の櫓」の地下にある「埋門」を潜ると「腹切丸」跡の広場があります。(※この場所は現在未公開になっています。写真は未公開前のモノです)
 
「腹切丸」跡の中央には「井戸」があり、その南側に前面(井戸側)がオープンになった珍しい形の重文「帯郭櫓」が建ちます。「腹切丸」の謂れは、「帯郭櫓」前で罪人を切腹させて、その血を流す為の井戸を設け、切腹を見届ける役人が座るオープン座席を設けているような構成から、そのように呼ばれるようになったとの伝説があるようです。
 
「腹切丸」跡中央の「井戸」 ↓
重文「帯郭櫓」 ↓
 
それはともかくとして、「腹切丸」の東側には「城壁」が築かれ、「三の丸」東側から見ると当曲輪は「高石垣」の上に築かれていて「城壁」も良く観察できます。「城壁」の「腹切丸」側は、瓦を乗せたシッカリした「控塀」が建ちます。
 
「腹切丸」の東側に建つ「城壁」とその「控塀」 ↓
東「三の丸」跡から見上げる「腹切丸城壁」(左は重文「帯郭櫓」、右は重文「帯の櫓」) ↓
東「三の丸」跡から見上げる「腹切丸城壁」と国宝「大天守」 ↓
 
 
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