今年も残すところ本日のみとなりました。

 

今年は、昨年(2024年)11月からの「首下がり病」の影響で「お城巡り」を断念したことからブログには「お城紀行」を投稿することができず、その替りに今まで登城してきた素材(写真)を使用して、各種の「シリーズ化」によって日々(365日)投稿してきました。この「シリーズ化」は当分継続したいと思います。

 

昨日も書きましたが、来年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、特に「豊臣秀吉」の弟「秀長」にもスポットが当たるようです。

 

タイミング良く本日の「その他の城郭建造物を巡る」シリーズは、「豊臣秀長」が築いた2つのお城「大和郡山城」「和歌山城」の内「和歌山城」(和歌山県和歌山市)で締めたいと思います。「日本100名城」に指定されています。

                

城主(藩主)、立地・縄張りについては下記をクリックしてご覧ください 

               ↓

城内の城郭建造物は、現存、復元含めて多数建っています。
 
まず「虎伏山」頂上に構える「天守曲輪」には、太平洋戦争で焼失した後にRC造りで外観復元された連立式「天守」が、「小天守」「台所多門」「多門櫓」「乾櫓」「多門櫓」「二の門櫓」「二の門(楠門)」「多門櫓」を伴って建っています。
 
RC造りで外観復元された「大天守」と「小天守」(南東隅から) ↓
外観復元の「台所多門」 ↓
外観復元「多門櫓」と同「乾櫓」(北側から) ↓
外観復元「乾櫓」と同「多門櫓」 ↓
外観復元「二の門櫓」 ↓
外観復元「二の門(楠門)」 ↓
 
「虎伏山」麓には、現存で重文の「岡口門」、同重文の「追廻門」、「南の丸」の南に位置する岡山砂丘には現存「鐘楼」、「西の丸庭園(紅葉渓)」内には再建「鳶魚閣(えんぎょかく)」が佇んでいます。
 
重文「岡口門」 ↓
重文「追廻門」 ↓
現存「鐘楼」 ↓
「西の丸庭園(紅葉渓)」内の再建「鳶魚閣」 ↓

「その他の城郭建造物」ですが、まずは北東隅に「三の丸」から入城する「大手門」の手前で「内堀」を渡る「一の橋(元々は市之橋)」が1982年に再建されました。
 
木橋で、少し曲線となった「太鼓橋」で「擬宝珠」付いています。
 
「大手門」手前の「内堀」を渡る「一の橋」 ↓
「大手門」手前の「内堀」を渡る「一の橋」 ↓
「大手門」手前の「内堀」を渡る「一の橋」の「擬宝珠」 ↓
 
次に、「二の丸」跡から「西の丸」跡の間を遮る「内堀」上に架けられた復元「廊下橋」です。
 
この橋は、藩主やその家族が「二の丸御殿」から「二の丸庭園」へ移動する際に利用された「廊下橋」で、橋全体に覆いを被せた橋で、西に向かって傾斜しています。従って、内部の床板を鋸歯状に板を薄く重ねて滑り止めを設けています。
 
 
「二の丸」跡から「西の丸」跡に架けられた復元「廊下橋」 ↓
「二の丸」跡側から「西の丸」跡に架けられた復元「廊下橋」 ↓
「西の丸」跡側から見る復元「廊下橋」 ↓
復元「廊下橋」の入口部分 ↓
復元「廊下橋」の内部(床は鋸歯状に) ↓
 
旧大手門だった「岡口門」が構成する「岡口門桝形」の東部分には、現存で重文の「城壁土塀」が残ります。
 
「城壁土塀」が現存で残ることは稀ですので、貴重な遺構となっています。白壁には大きめの「狭間」が並んでいます。
 
「岡口門桝形」東部分の現存で重文の「城壁土塀」 ↓
「岡口門桝形」東部分の現存で重文の「城壁土塀」 ↓
「岡口門桝形」東部分の現存で重文の「城壁土塀」 
「岡口門桝形」東部分の現存で重文の「城壁土塀」 ↓
 
 
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