お城や陣屋を構成する「城郭建造物」の中に建つ「蔵」(全国「城郭内の蔵」を巡るシリーズ)を採り上げてお届けしています。
お城(陣屋や代官所含む)には、「天守」「櫓」「御殿(能舞台や茶室等含む)」「門」「番所」の他に、戦闘に使用する武器類、生活を維持していく為のお金等の財産、命を繋ぐ米などの食物類、その他生活に必要な物品等々を保管しておく「蔵」や「納屋」が必ず設けられていました。
元々は、そのようなモノを保管しておく「蔵・納屋」が独自に築かれていましたが、江戸時代に入り平和な時代になってくると、戦闘用や監視用として築かれていた「櫓」がその目的から外され、蔵的な利用に切り替えられるお城が多くなりました。(鉄砲櫓、槍櫓、弓櫓、米櫓、塩櫓、麦櫓、干飯櫓、荒和布櫓など)
しかし今回は、そのような蔵的利用された「櫓」は割愛して、元々から「蔵・納屋」として築かれ名称も「〇〇蔵、○○庫、○○倉庫」と称する建造物を集めました。
このシリーズでは、現存、復元、復興、模擬のモノを紹介していきますが、「蔵」は殆どが現存のモノが多いです。
今回は、「仁正寺(西大路)陣屋 」(滋賀県蒲生郡日野町)の「城郭内の蔵」をお届けします。
お城の歴史と城主、及び立地と縄張りについては、「御殿シリーズ」でも記載していますのでご参照ください。
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「仁正寺(西大路)陣屋」跡は、小公園となっていて「藩主市橋家邸」の文字が刻まれた碑が立っていますが、その小公園脇北西すぐの場所に、ポツンと藩政時代の「米蔵」が建ちます。
「切妻造り」で「桟瓦葺き」、桁側には大きな瓦庇を設けていて、土蔵造りの上に外壁の殆どの面が板張りになっています。東面には上下に箇所窓を設けて小さな木庇を付けています。
藩政時代の「米蔵」(大きな「瓦庇」が付く) ↓
藩政時代の「米蔵」 ↓
藩政時代の「米蔵」(窓が2箇所) ↓
他にも城下にある寺院等に藩邸の一部を使用した本堂や門などが残りますし、「御殿」は京都の「相国寺」へ移築されています。
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