お城や陣屋を構成する「城郭建造物の中に建つ」(全国「城郭内の蔵」を巡るシリーズ)を採り上げてお届けしています。

 

お城(陣屋や代官所含む)には、「天守」「櫓」「御殿(能舞台や茶室等含む)」「門」「番所」の他に、戦闘に使用する武器類、生活を維持していく為のお金等の財産、命を繋ぐ米などの食物類、その他生活に必要な物品等々を保管しておく「蔵」や「納屋」が必ず設けられていました。

 

元々は、そのようなモノを保管しておく「蔵・納屋」が独自に築かれていましたが、江戸時代に入り平和な時代になってくると、戦闘用や監視用として築かれていた「櫓」がその目的から外され、蔵的な利用に切り替えられるお城が多くなりました。(鉄砲櫓、槍櫓、弓櫓、米櫓、塩櫓、麦櫓、干飯櫓、荒和布櫓など)

 

しかし今回は、そのような蔵的利用された「櫓」は割愛して、元々から「蔵・納屋」として築かれ名称も「〇〇蔵、○○庫、○○倉庫」と称する建造物を集めました。

 

このシリーズでは、現存、復元、復興、模擬のモノを紹介していきますが、「蔵」は殆どが現存のモノが多いです。

 

今回は、古河城」(茨城県古河市中央町)の「城郭内の蔵」をお届けします。

 

鎌倉公方「足利成氏」が城として整備を行いますが、その後、小田原の「後北条氏」が滅亡し、「徳川家康」の関東入部にともない譜代大名「小笠原氏」が入城してお城の再建を行います。

 

その後は「(戸田)松平家」「小笠原家」「奥平家」「永井家」「土井家」「堀田家」「(藤井)松平家」「(大河内)松田家」「本多家」「(松井)松平家」「土井家」と11家が入れ替わり立ち替わり在城し、1762年から「土井家」が定着して幕末・維新まで統治します。その間、多くの幕閣(大老、老中など)を輩出しました。

 

古河城」の立地と縄張りですが、西側は「渡良瀬川」が接し、残りの三方を水堀に囲まれた曲輪群で構成されていました。

 

直線状に配置された「連郭式縄張」で、北から順に「観音寺曲輪」「桜町曲輪」「三の丸」「二の丸(西側)「本丸(東側)」「頼政曲輪」「立崎曲輪」が縦に並び、「桜町曲輪」東側の「百間堀」の先には出城的な「諏訪曲輪」設けられていました。

 

現在「本丸」「二の丸」跡などの主要部分は、「渡良瀬川改修事業」の際に堤防・河川敷となってしまいました。

 

「縄張図」(ウイキペディアより参照) ↓

 

このように城跡の痕跡が殆ど残されていない中で、門と蔵が移築現存しています。門は「門シリーズ」で投稿しましたので

本日は「文庫蔵」が移築現存されている「坂長本店店蔵」、「乾蔵」が移築現存されている「坂長本店袖蔵」を紹介します。

「坂長本店」は江戸時代に、「両替商」から「酒問屋」を営んでいたお店です。

 

「文庫蔵」の方は、屋根が「切妻造り」の「桟瓦葺き」、土蔵造2階建の店舗で、1階正面に「土庇」が付いていますがこれは移築後付けられたものではないかと思います。2階の外壁には大きな「窓扉」が桁側・妻側ともに2箇所付いています。

 

「乾蔵」の方も、屋根が「切妻造り」の「桟瓦葺き」、土蔵造2階建ての蔵で、白漆喰の2階の「妻側」にだけ「窓扉」が付いています。

 

下記の写真ですが、紙焼きの写真しか残ってなく、それをデジカメで撮った写真ですので、少し見にくくなっています。

 

「文庫蔵」が移築現存されている「坂長本店店蔵」 ↓

「乾蔵」が移築現存されている「坂長本店袖蔵」 ↓

 

 

 

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