先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。

 

今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。

 

「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば、前述のように「城門(櫓門)」に併設した部屋になっているモノもあります。

 

このシリーズでは、単独の「番所」建物を中心に、既に紹介はしていますが「城門(櫓門)」に併設されている「番所」も含めて、現存、復元、復興、模擬のモノをできる限り紹介していきたいと思います。


今回は、「熊本城」(熊本県熊本市中央区本丸)の「番所」をお届けします。「日本100名城」に選定されています。

 

1607年に「加藤清正」が最先端技術を導入して築城しました。しかし1632年に「清正」の子「忠弘」が改易され、その後に54万石で「熊本城」に入城したのが「細川忠興」です。既に「熊本城」は、「加藤清正」によって現状に近い状態に築城されていたようです。「細川家」は、その後幕末・維新まで統治しました。

 

「熊本城」の立地と縄張りは、「茶臼山」と呼ばれる台地上に戦国最強の縄張りと言われ、精緻を極めたモノでした。

お城は、一つ一つの曲輪が大きくてそれぞれに天守の代わりになるような巨大な櫓が建っていました。更にその周りには多聞櫓や土塀がぐるりと囲んでいたので、それらが一つのお城のような役割を果たしていました。

 

「熊本城」には「七つの天守」が存在すると言われ「天守」「小天守」「御裏五階櫓」が建つ「本丸」を頂点に、「宇土櫓」が建つ「平左衛門丸」、「数寄屋丸五階櫓」が建つ「数寄屋丸」、「飯田丸五階櫓」が建つ「飯田丸」、「竹の丸五階櫓」が建つ「東竹の丸」が南側にかけて段々と下がっていきます。

 

更にその下には「竹の丸」が広がり「坪井川」を天然の「堀」替わりとしています。そして以上の敷地全体の西側には堀を設け大きな面積の「西出丸」「奉行丸」が構えています。

 

更に、堀を設けた西側には「二の丸」「三の丸」と城下が広がり武家屋敷を配してお城の守りとしています。

 

「番所」があるのは、「東竹の丸」の北端に建つ重文「不開門」(震災で現在未修理)を出た所にある重文「御平櫓」(こちらも震災で現在未修理)に付随する「櫓番詰所」です。「不開門」側から見ると「庇」が延びているのが確認できます。

 

重文「御平櫓」に付随する「櫓番詰所」(震災前の写真) ↓

重文「御平櫓」に付随する「櫓番詰所」(左側、震災前の写真) ↓

こちらは「不開門」でこの先に「御平櫓」が建つ(震災前の写真) ↓

 

もう一カ所は、「竹の丸」西端に建つ復元「櫨方(はぜかた)門」に付随して「番屋」が設けられていました。います。震災前は、当門に発券所があってここから入城ができましたが、現在は修理中の為に使用されていないようです。

 

復元「櫨方門」に「番屋」が付随(震災前の写真) ↓

復元「櫨方門」に「番屋」が付随(震災前の写真) ↓

 

 

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