先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。
今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。
「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば、前述のように「城門(櫓門)」に併設した部屋になっているモノもあります。
このシリーズでは、単独の「番所」建物を中心に、既に紹介はしていますが「城門(櫓門)」に併設されている「番所」も含めて、現存、復元、復興、模擬のモノをできる限り紹介していきたいと思います。
今回は、「松山城」(愛媛県松山市)の「番所」をお届けします。「日本100名城」の選定されています。
1602年に「加藤嘉明」によって「勝山」に築城が開始されて「松前(まさき)城」から転居しました。1627年に入城した「蒲生忠知」は「二の丸」を増築しましたが嗣子なく断絶、その後「(久松)松平定行」が15万石で入城しました。以降は「久松松平家」が幕末・維新まで統治します。
「定行」は、1642年に五重天守を三重天守に改築しますが、その「天守」は1784年に落雷で焼失し、現在建っている「天守」は、1852年に再建されたものです。
「松山城」の立地と縄張りは、「勝山」山頂に「本丸」を築き「本壇」に「天守曲輪」等を設けています。中麓には「二之丸」を置き、更に麓には「三之丸」を置く「平山城」です。
城山公園マップ(現地掲載) ↓
その「二之丸」には、「二之丸御殿」が置かれていて現在は「多聞櫓」「門」「茶室」等が再建され、「御殿」跡は平面表示されています。
「二之丸」絵図(赤丸は下記「番所」の位置) ↓
当時の「二之丸」図(現地に掲載) ↓
「二之丸」跡北側には「四脚御門(北門)」が復興されていて、その脇に単独の「番所」が建っています。
屋根は「切妻造り」の「桟瓦葺き」、外壁は「真壁造り」で「庇」を設けて番所らしさを表現していますが、残念ながら現在は「客用トイレ」として使用されています。
復興「番所」(現在中はトイレに使用) ↓
復興「番所」(現在中はトイレに使用) ↓
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