先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。

 

今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。

 

「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば、前述のように「城門(櫓門)」に併設した部屋になっているモノもあります。

 

このシリーズでは、単独の「番所」建物を中心に、既に紹介はしていますが「城門(櫓門)」に併設されている「番所」も含めて、現存、復元、復興、模擬のモノをできる限り紹介していきたいと思います。


今回は、「園部陣屋(園部城)」(京都府南丹市園部町)の「番所」をお届けします。

 

1619年に「小出(こいで)義親」が「小麦山」付近に築城を開始しました。当時「天守(櫓)」建築をする為に幕府へ申請しましたが許可が下りず「陣屋」扱いとなりました。その後幕末・維新まで外様大名の「小出家」が統治しますが、その間も城づくりという野望は捨てきれずに「城主格」になることに拘(こだわ)っていたようです。

 

幕末には、園部が「帝都」に近い距離にあり「京」を守るという大義名分の下で、いよいよ城造りが幕府から認められましたが大政奉還となり、政府は明治政府となりました。

 

明治政府は、「京(京都)」が戦火に見舞われた際に「明治天皇」の「行在所(あんざいしょ)」として使用する計画もあったようで、「園部陣屋」の城郭化を進め1869年に三重櫓を含め五基の「櫓」と二基の「櫓門」を設けたお城に変貌しました。

 

しかしながら、2年後の1871年の廃藩置県で藩の消滅に伴い城の破却が進みました。あまり知られていないですが、日本で最後(明治時代に入っての)の近世城郭です。

 

園部陣屋(園部城)」の立地と縄張りは、「小麦山」の麓に置いた「本丸」を中心に「内堀」が囲い、更に北側に「大手門」を置いて「内堀」の周囲を「外堀」で囲い、「北(釘貫)門」「東(不明)門」「南門」を配備した総郭的な縄張りになっています。

 

「小麦山」に三重櫓である「小麦山櫓」が建ち、「本丸」には五基の「櫓」と二基の「櫓門」が一時的でも建っていた姿は壮観だったと思います。

 

「園部城復元図」(「観光協会」発行のパンフレット)↓

 

「番所」は、正面の「櫓門」型式の立派な現存「陣屋表門」の左脇に現存の単独建物が設けられています。そんなには大きくはないですが、「入母屋造り」の屋根で「桟瓦葺き」、外壁は「下見板張り」で柱を見せる「真壁造り」となっています。門側から城内側にかけて窓が設けられています。

 

現存「陣屋表門」脇に単独の建物の「番所」(城内側から) ↓

「陣屋表門」脇に単独の建物の「番所」(城内側から) ↓

「陣屋表門」脇に単独の建物の「番所」(表門側から) ↓

現存「番所」と現存「巽櫓」 ↓

現存「陣屋表門」の左脇に見えるのが現存「番所」の屋根 ↓ 

 

 

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