先日まで見てきた「城門」(櫓門も含む)には、門からの出入りを監視する「番所」を併設しているモノも見られましたが、お城や陣屋を構成する「城郭建造物」には、独立して建てられた「番所」というモノもあります。

 

今回のシリーズでは、各お城にある「番所」(全国「番所」を巡るシリーズ)を紹介しています。お城内外への人の出入りや、各曲輪間や建物間の出入りを監視、管理する「番所」も重要な役割を担う「城郭建造物」です。

 

「番所」には、そこに詰める武士や中間(今でいうガードマン)が滞在できる単独の建物もあれば、前述のように「城門(櫓門)」に併設した部屋になっているモノもあります。

 

このシリーズでは、単独の「番所」建物を中心に、既に紹介はしていますが「城門(櫓門)」に併設されている「番所」も含めて、現存、復元、復興、模擬のモノをできる限り紹介していきたいと思います。


今回は、「今尾陣屋」(岐阜県海津市平田町)の「番所」をお届けします。

 

当地には「中島家」が築いたお城がありましたが、「織田信長」に滅ぼされた後は「信長」の家臣が城主に、また「豊臣秀吉」政権時には「市橋長勝」等が城主となっています。

 

その後「竹腰正信」に城が与えられますが、「一国一城の令」で廃城となり、「今尾陣屋」が築かれます。

 

「竹腰家」は、「尾張藩」付家老として、「犬山城」の「成瀬家」と共に「尾張藩」を支え幕末まで続きました。明治政府になってからは独立した藩として認められますが、1871年に廃藩置県によってわずか4年で消滅します。

 

「今尾陣屋」の縄張りは、「御城屋敷」「書院屋敷」「役屋敷」の三構えとなっていて、内郭に「濡門」、外郭に「辰巳門」が置かれていたようです。


「今尾陣屋」の縄張り図(「今尾小学校」校門内に掲出) ↓

 

現在、「薬医門」型式の「陣屋門」が陣屋跡近くの「西願寺山門」に移築されていて、その両脇には「続櫓」或いは「多門」の様な建物が建ちますが、「番所」的な役割を担っていたと思われます。

 

両方の建物には、「唐破風」状の庇が付く窓が設けられていてそこから出入りの監視が行われていたのではないかと思われます。

 

「番所」的な建物(向かって左側、「西願寺山門」に移築された「陣屋門」に付随) ↓

「番所」的な建物(向かって右側、「西願寺山門」に移築された「陣屋門」に付随) ↓

「番所」的な建物(内側から、「西願寺山門」に移築された「陣屋門」に付随) ↓

「西願寺山門」に移築された「陣屋門」の両脇に「番所」的な建物が付随) ↓

 

 

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