5/17(水)~18(木)にかけて、「青森・秋田のお城巡りの旅」に出かけました。初日は、「浪岡城」から「弘前城」に向かいました。

 

JR「弘前駅」に12時に着き、まずは腹ごしらえに「ミスド」で昼食を取り、その後駅内にある「観光所」で電動自転車を借りて出発しました。「弘前城」(青森県弘前市)は2度目の訪城でしたが、前回はお城の「出城」的な位置づけの「長勝寺構」を見ていなかったので、まずはそこから攻めました。

 

少し経路が判らず途中迷いましたが、それが功を奏して「新寺構」という「長勝寺構」と並ぶ外郭の「出城」に寄ることができました。ここは全く計画外でしたのでラッキーでした。道路の斜め下に「土塁」がありそれが復元されているようでした。

 

「新寺構」跡について

「新寺構」跡の「土居」

 

チョッと遠回りして「長勝寺構」に到着しますと、その入口は「茂森町桝形」という碑が立ち、道路が折れ曲りを残していました。そしてその両脇には高さのある「土塁」が南北に続いていたので帰りに見る事にしました。

 

「茂森町桝形」碑

「茂森町桝形」(道路が左に曲がり右へ曲がる)

 

枡形の道を抜けると右手に「赤門」が建ち、正面にはまるでお城の入口でもあるような高麗門形式の「黒門」が建っています。そこから道が真直ぐに伸びてその正面には「長勝寺」が建ち、道の両脇には33か所の禅寺が並ぶ壮大な寺町(禅林街)を形成するとともに、お城を守る役割を担っています。

 

「赤門」

高麗門形式の「黒門」(寺側から)

禅林街で突当りが「長勝寺」、道の両脇に禅寺が並ぶ

 

「津軽家」の祖である「大浦光信」の菩提を弔う為に建造された「長勝寺」に辿り着くと、1階両脇には巨大な「火燈窓」(このお寺の表現)を持つ楼門「三門」(重文)が迎えてくれます。門内に入ると、正面には「本堂」が、右手には「庫裏」等が並び、「本堂」の中へは「庫裏」を抜けて入って行く構造となっていて厳かな感じを受けました。これらは全て重要文化財の建造物です。

 

「長勝寺三門」(重文)

「長勝寺三門」(重文)のでかい「火燈窓」

「本堂」(重文)

「庫裏」と「鐘楼」(重文)

「本堂」の内部

 

この「本堂」の南側にかけて、歴代藩主や奥方の「霊屋」が並んでいて、区画の外からしか見ることができませんでしたが、入母屋屋根で杮葺きの「霊屋」が遠くから眺めることができ、大名廟所の豪華さはあらためて凄いものだと感じました。5棟の「霊屋」は全て重要文化財に指定されています。

 

歴代藩主の「霊屋」

歴代藩主の「霊屋」

 

「長勝寺」を見た後、先程見残していた「桝形」脇の「土塁」を見に行きました。残されている「土塁」は南北かなりの長さがあり、「土塁」上は林化しています。北側の「土塁」は「城西大橋」まで伸びていて、もう少し行くと「お城」の「外堀」まで達します。

 

「桝形」の南方向へ伸びる「土塁」

「桝形」の北方向へ伸びる「土塁」

「桝形」の北方向へ伸びる「土塁」

「城西大橋」手前の「土塁」

「城西大橋」から見える「岩木山」

 

さて「弘前城」の歴史と城主ですが、「堀越城」に居た「津軽信枚(のぶひら)」は、父親が居住していた「大光寺城」と自ら居城していた「堀越城」を一つにすべく「高岡」において築城を開始しました。そして1609年に入城し、その後五重の「天守」は1627年に落雷によって焼失します。その翌年に「高岡城」から「弘前城」に改名しました。

 

「天守」焼失後は、「天守」がない時期を長く過ごしましたが、1810年にロシア船の津軽海峡往来事件があったことから、幕府の許しを得て「本丸辰巳櫓」を改築して天守代用の「御三階櫓」を造りました。

 

このように、「弘前城」は幕末・維新迄一貫して「津軽家」のお城として存在しました。

 

弘前城」の縄張りは、「岩木川」の河岸段丘上に築かれ、「本丸」を中心に北・東・南側に「二の丸」を、更にその周囲を「三の丸」が囲い、段丘上に「水堀」を三重に引き込んで各曲輪を取巻いています。

 

更に北側には「四の丸」、西側には「西の郭」、南側には前述した「長勝寺構」等を置いて守りを固めています。

 

「弘前城」の案内図

 

それでは、先程の「長勝寺構」の「土塁」延長上にある「南外堀」から見て行きます。堀沿いにには「土塁」が築かれていて、ここの土塁は「熊笹土塁」が採用されていました。「熊笹」は根がシッカリと張るので「芝土塁」よりも堅固にできるとのことです。

 

「熊笹」が生える「土塁」

「南外堀」

 

「南外堀」が左へ折れた所は「芝土塁」がこんもりとして「三の丸追手門」(重文)を防御しています。門と「土塁」の間は桝形となって門を潜るようになっています。

 

「芝土塁」と「三の丸追手門」(重文)

 

「三の丸追手門」は「脇戸・番所付き櫓門」で、2階は「庇付きの出格子窓」が付き、壁は「真壁造り」で「下見板張り」、屋根は「銅瓦葺」 という古い形式の「櫓門」です。当城には現存櫓門が他に4門ありますが、殆どが同じ形式で造られているので、なかなか見分けが難しいです。

 

「三の丸追手門」(重文、「土塁」両脇には板塀)

「三の丸追手門」(重文、「庇付きの出格子窓」

「三の丸追手門」(重文、「潜り戸・番所出格子」)

「三の丸追手門」(重文、「真壁造り」の壁

 

勿論「櫓門」の両脇は「土塁」になっていて門との間は板塀によってシッカリと封鎖されています。

 

門を潜ると広々した広場が拡がりますが「三の丸」跡の南部分です。緑が豊かでホッとするエリアです。門から北へ向かって直線に伸びる道は「中堀」に突き当り、突き当りのやや右手堀越しに「二の丸辰巳櫓」が建ちます。この位置からは木々が邪魔になって非常に見ずらいです。

 

「三の丸追手門」を抜けると「三の丸」跡広場の中を真っすぐな道が伸びます

三重櫓「辰巳櫓」(重文)

 

西側に移動すると赤い色の「杉の大橋」がありますが、もう少し進んだ所から、「二の丸未申櫓」がバッチリに見えます。先程の「辰巳櫓」「未申櫓」の詳細については、次回のブログで紹介していきます。

 

「杉の大橋」

三重櫓「未申櫓」(重文)

 

次回(2)は、「杉の大橋」を渡り「二の丸」跡から見て行きます。

 

 

 

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