12/3(土)~4(日)に、城友と「西播磨」の山城巡りをする予定でしたが、城友が急遽体調不良で行けなくなりましたので、泊まりは止めて1日目に予定していた山城を私一人だけで登城してきました。

 

今回は、阪急電車で「阪急三宮駅」まで向かい、JR「三ノ宮駅」からJRの「快速」で「相生駅」まで向かいました。このルートで行っても到着時間が変わらず、しかも料金が往復で1,280円(阪急分を抜くと1,140円)もお安くなります。

 

「相生駅」では、「駅レンタカー」で「タント」を借りて出発です。まず最初に向かったのは「上月城」(兵庫県佐用郡佐用町)で、約30分で駐車場がある「上月歴史資料館」に着きました。

 

「上月歴史資料館」

 

「西播磨の山城」は、15城くらいあって、その内現在「マップ」を発行しているお城が8城あります。私は一応その8城のマップを「西播磨ツーリズム振興協議会」から送っていただいていて、その内の「白旗城」が「上月城」へ来る途中の道から登城口が見えていたので、次回はここへも登りたいと思いました。

 

「上月城登城口」の手前には「上月城の遠隔と攻防」の案内書きがありましたので、ここで歴史と城主について記載しておきます。

 

上月城」は、鎌倉時代末期に、「赤松氏」一族の「上月景盛(かげもり)」が築城しますが、1441年に「嘉吉の乱」の時に「上月氏」嫡流が途絶えます。

 

そして当城は、三国(播磨、備前、美作)の境界に位置することから攻防の地となり、「尼子氏」に攻められ落城した後1557年に赤松一門の「赤松政元」が入城します。しかし、その後「宇喜多直家」に攻め落とされます。

 

そして「毛利攻め」を行っていた「織田信長」方の「羽柴秀吉」軍によって落城して、「尼子勝久」とその家臣「山中幸盛(鹿之介)」が「秀吉」の命で「毛利方」攻めの抑えとして入城します。

 

しかしながら、1578年に6万もの「毛利軍」に攻められ、「三木城」攻めに手を焼いていた「秀吉軍」からの援軍を受けることが出来ず落城します。「尼子家」復興も無しえることができず「上月城」の落城と「尼子家」の滅亡が決定的となりました。

 

上月城」の縄張りは、登城口がある東から西にむかって尾根上に延びる「連郭式」で、東端の「主郭」の手前に「堀切」を設け、「主郭」周囲には壇状の「帯曲輪」を2方向に置いています。

 

「仁位山城」跡展望台から見下ろした「上月城」

「西播磨ツーリズム振興協議会」発行のマップより

 

なだらかな尾根上に長めの2郭、そして3郭、4郭と並び、4郭の西先端に「堀切」や「横堀」を配備しています。更にその南先の尾根には軽めの「堀切」が見られます。

 

 

登城口からは、階段が付いているので登りやすく、「上月歴史資料館」の方が、私の足なら「15分位でお城の付きますよ」とのことでした。

 

登城口からの登山道

 

途中の「休(やすみ)郭」跡に休憩所施設がありましたがパスして登り続けると、尾根伝いに出てきてその先には「堀切」が見えますが、そんなに深いものではありませんでした。

 

「休(やすみ)郭」跡からの眺め

上り「尾根」沿いに浅い「堀切」

沿いに浅い「堀切」

「堀切」を横から見る

 

その後ろがすぐに「主郭」跡になりますので、あまりにも軽い防備の様にも見えました。その分でしょうか「堀切」の後方には、二段の小さな「帯曲輪」跡が「主郭」跡を取り囲んでいます。

 

「堀切」の後方の小さな「帯曲輪」跡

一段目から二段目の「帯曲輪」跡を見下ろす

 

「帯曲輪」跡奥の盛り上がった所が「主郭」跡です。かなり広々した敷地で、その北西隅には「赤松正範」を弔う供養塔が立っています。

 

「主郭」跡 (南東から)

「赤松正範」を弔う供養塔

「主郭」跡の南東方向

「上月城」の幟

 

それ以外は特に特徴も無いので、尾根沿いに少し下りた細長い「二郭」跡へ進みます。この先端の再度盛り上がった所が「三郭」で、その北側からは、「利神城」跡の山が見えるそうなのですが、良く解らずじまいでした。

 

「二郭」跡

「三郭」跡

「利神城」山が見えるらしいですが、良く解らず

 

「三郭」の西側に「四郭」が並びますが、その西端下は大きな段差があり「堀切」が施されていました。「堀切」に下りて「四郭」を見上げると高さがあります。

 

「四郭」跡から見る「堀切」

「堀切」底から見上げる「四郭」跡

「堀切」を横から見る

 

その「堀切」の両方へは「竪堀」が続いているようで下へ掘られています。また、その「堀切」には「土橋」が架かっているようで、「四郭」跡の西側下には「堀切」から続く「横堀」があったようですがよくわかりませんでした。

 

「4郭」跡下の「堀切」に架かる「土橋」

「堀切」から下へ「竪堀」に繋がる

 

その「堀切」で断面が切られた尾根は、もう少し下った所にも浅い「堀切」が認められました。

 

もう1本先の「堀切」(殆どわからない)

もう1本の「堀切」

非常に浅い「堀切」

 

「上月城」の防備は以上で「土塁」もなければ「石垣」もなく、浅い「堀切」が3本あるだけというシンプルなお城でした。

 

「尼子勝久」と「山中鹿之介」が守ったお城にしては、あまりにも頼りないお城であったことに拍子抜けしましたが、「秀吉」から与えられたお城で改修する時間も無く「毛利」との戦いに挑まざるをえなかったのかもしれません。

 

下山路は、山林の中を下っていき、途中から見上げる「上月城」はかなり急峻のように見えましたが、「月山富田城」を思えば、「尼子氏」が改修したお城であればもっと凄くなっていたかもと感じざるをえませんでした。

 

下山路

急斜面の「上月城」

 

「上月歴史資料館」には約1時間で戻ってきて、ここの駐車場から真っ前に見える「仁位山城」跡への道順を伺うと、途中に動物防護柵がありますがそれを開けて車で頂上まで行けることを聞きました。

 

次回のブログでは「仁位山城」をお届けしたいと思います。「竪状畝堀」が凄いお城ですのでどうぞご期待ください。

 

 

 

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