「天守台シリーズ」第66弾は、「津山城」です。
「津山城 天守」の古写真(北西から、現地にて掲載分)
現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。
「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台」だけは築いておくケースもありました。
「天守台」は、石垣の場合があったり、土塁上に築かれる場合もありましたし、石垣の場合は「野面積み」「打込接」「切込接」等の加工の仕方や積み方があったり、また武者返しや高石垣或いは数段しかない場合など、非常にバリエーションがあって面白いです。
「津山城」(岡山県津山市)は、「山名家」一族によって「鶴山(つやま)」に築城した「鶴山(かくざん)城」が、応仁・文明の乱で岩見・美作を失って廃城となった所に、1603年に入城した「森忠政」が大規模な近世城郭の工事を行い1616年に完成させます。
「鶴山」を「津山」と改め、「天守」建築に当たっては「細川家」の「小倉城」を参考にしたと言われ、無破風の層塔型「天守」が上がりました。
その後、「森家」は嗣子なく取り潰され「越前松平家」が入城し、幕末・維新迄統治します。
「天守」は前述したように無破風層塔型で、五重五階で四重目だけが「板葺屋根」という特異な形式でした。その天守は幕末・維新迄残っていましたが、明治7~8年頃に撤去されました。
「津山城内絵図」(城内にて掲出分)
「天守台」は「打込接・乱積み」で、出入口は真直ぐに入れないで折れを採用、しかもまずは「天守台」の地階(穴蔵)へ入り、そこから石段で1階へ上がる構造となっていました。
「津山城 天守台」(打込接・乱積み)
「津山城 天守台」(石段を上がり右に折れる)
「津山城 天守台」穴蔵への入口、奥は1階への石段
現在は、立派な「天守台」はそのまま残され、穴蔵内には礎石が、周囲には石塁が残されています。
「津山城 天守台」穴蔵内には礎石が残る
「津山城 天守台」から穴蔵を見る
また「天守台」の周辺は石塁や門で区画されていてそこに至るまでのルートも複雑になっていて軍事的な強化が施されています。
復元「備中櫓」から「天守台」までのルート上に構えた「五番門」跡、「六番門」
「津山城 天守台」の南東には「ハ番門」跡
「津山城 天守台」の南側には石塁とその上に復元「土塀」
天守台」1階部分からの遠望は津山市内を一望できる素晴らしい光景です。
「津山城 天守台」台上
「津山城 天守台」から津山市内を一望
「天守」「備中櫓」「長局」の古写真(現地にて掲出分)
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