私がかつて訪城した約25城の「模擬天守」を順次お届けしています。

 

今や市町村のシンボルであり市民権を得た状態で聳えているという理由で、「模擬天守」を採りあげています。そして「模擬天守」については以下の分類があると思います。

 

お城に「天守」があったものの、現在城域外のかなり違う場所に「天守」が建てられている場合

②お城に「天守」があったことが絵図や写真があるが、その絵図や写真とは全く違った形状の「天守」が建てられている場合

③お城に「天守」があったものの、「天守」の形が絵図や発掘物等何もなく判らない場合

④確かにその場所にお城が有ったと思われるものの、「天守」があったという史実が無い或いは確認されていない場合

⑤お城が有ったという史実が全く無い或いは確認されていない場合(今回のシリーズではこれは割愛します)

 

戦国時代から桃山時代のお城の「模擬天守」をお届けしています。本日は、「長浜城」(滋賀県長浜市)です。

 

三層五階、RC造の模擬天守(東側より)

 

「織田・徳川軍」対「浅井・朝倉軍」がぶつかった「姉川の戦い」で戦功をあげた「木下藤吉郎(秀吉)」が、北近江3郡を与えられ「小谷城」に入城しますが、山城で統治しづらいことから、今浜(現在の長浜)にお城を築き1577年に完成します。

 

「秀吉」にとっては初めてのお城で、城持大名に昇格し、名前も「羽柴秀吉」と改姓しました。

 

一時、「織田信長」死後の跡目を決める「清須会議」で「柴田勝家」の養子「勝豊」が入りますが、その後「秀吉」対「柴田勝家」の「賤ケ岳の戦い」で戦功をあげた「山内一豊」が入城します。

 

1606年に「内藤家」が入りますが1615年に転封によって廃城となり、天下普請で築城が急がれた「彦根城」の部材として流用されました。

 

当時の「長浜城」の縄張りは絵図で判りますが、「天守」の姿は三重天守だったこと以外は不明だそうです。

 

「天守台」と謂われている場所には、「天守台跡」碑とともに「豊臣秀吉」像が立ち、現在の「模擬天守」の北西にあります。

 

天守台跡と秀吉像

 

現在の「天守」は、1983年(昭和58年)に当時の姿を推定して建てられたもので、

独立式望楼型の三重五階RC造りで、白漆喰の美しい「模擬天守」になっています。

 

「模擬天守」は、入母屋破風の他にも、軒唐破風、比翼千鳥破風を付けるとともに、高欄・廻縁を取り付けて、観光用と歴史博物館としての機能を果たしています。

 

南西側から(宿泊ホテルから)

南面(豊公園より)

東側から

東北隅(模擬天守下から)

模擬天守の望楼部分(軒唐破風と高欄・廻縁)が付く

内堀跡からのぞむ(北東側から)

南西隅(豊公園から)

長浜港辺りから

 

次回ブログは、「清須城」(愛知県清須市)の模擬天守をお届けします。

 

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