「岡城」(大分県竹田市)の②段をお届けします。
その前に一つ、「岡城」の城主(藩主)で三代目「中川久清」についてのエピソードを紹介したいと思います。
「久清」は、「熊沢蕃山」に心酔していて、本人を岡山藩から招聘することによって藩政の強化を図りました。
また「久清」は、九重連山の大船山を凄く好みましたが、少し足が不自由だったので、強靭な担ぎ手の肩に乗る「ひとうま」という鞍に乗せてもらって絶えず山登りをしていました。そしてお墓は、「久清」が好きだった大船山中腹に造らせました。
この、担ぎ手「ひとうま」と「久清」を登場させた短編小説「ひとうま譚」が、「白石一郎」著の「島原大変」の中に納められていますので、一度是非ご覧ください。
さて前回①の続きですが、東に向かって進み「城代屋敷」跡、「籾倉」跡沿いの道を通り過ぎると、石垣に突き当たります。三の丸入口の「西中仕切」跡とその脇に据えられた「鐘櫓」跡の櫓台石垣です。
城代屋敷跡
西中仕切跡の石垣
鐘櫓跡
そこを通り抜けると目の前に見えるのが、険しく切り立った崖になっている美しい三の丸の高石垣で、古くはJRフルムーンのキャンペーンポスターの写真にも使われ、最近でも良く写真で目にする風景です。
三の丸の高石垣(険しく切り立った、JRのポスターに使用)
「太鼓櫓門」跡石垣が行く手を遮り、「武具庫」跡、空井戸が三の丸敷地内に並んでいます。少し高く石垣が築かれた敷地が本丸跡ですが、そこへは一旦二の丸に入ってから「本丸入口門」を通るルートで進みましょう。
太鼓櫓門跡
「二の丸」は三角形で突出していてその先端には「月見櫓」が設けられていました。ここからの九重連山の眺めは素晴らしいです。
前述の、「久清」もこの「月見櫓」から眺めては、連山の中にある大船山登山への衝動を抑えきれなかったのではないでしょうか。二の丸には、昨日も触れましたが「滝廉太郎」像が、お城から遠くを眺めながら座っています。
二の丸跡(この先に月見櫓跡がある)
二の丸月見櫓跡の高石垣
滝廉太郎像(二の丸跡内)
本丸入口には、「本丸門」の礎石が残り、本丸跡にも「御三階櫓」跡、「金倉」跡の礎石を見ることができます。
本丸門の礎石
本丸跡
御三階櫓台
本丸金庫跡石垣の積み増しが見られる珍しい石垣(大分県の中津城、熊本県の熊本城でも見られます)
本丸から「三の丸裏門」を通り、更に東側に進みますと「東中仕切」跡の石垣が横たわっています。
そして、「米倉」跡の敷地に沿って歩くと「廟所」跡の敷地が拡がりますが、その手前左側に藩主専用の門といわれる「清水門」跡があります。
三の丸裏門(本丸からの出入口)
東中仕切跡石垣と奥に本丸金倉跡
清水門跡石垣
「廟所」跡は、広大でかつてはここに墓所があったそうですが、現在は入口部分の階段と門跡が僅かに残るほどです。
御廟所の門跡
そしてこの「廟所」沿いの石垣に沿って進むと、中川家が入城する1594年頃までは大手門として使われていた「下原(しもばる)門」跡の石垣が聳えています。
御廟所の石垣が下原門跡迄続く
下原門の櫓台石垣
ここまでが、台地部分のお城の東端となります。
次回ブログ③では、もう一度来た道を戻り「城代屋敷」跡付近から「西の丸」へ移動したいと思います。
「ポチ」をどうぞよろしくお願いいたします。
「フォロー」の方もどうかよろしくお願いいたします。
もしよろしければこちらにも「ポチ」をお願いいたします。



















