「津山城」(岡山県津山市)第3弾。昨日は、天守曲輪まで参りましたので、本日は本丸をスタートして、「裏切手門」、「裏中門」、「裏下門」を通って下山していきます。
粟積櫓、大戸櫓の古写真(北西から、津山城案内から)
本丸は、広大で敷地一杯に本丸御殿が建てられていました。現在は跡かたなく平地となっていますが、その中にポツンと井戸が残っています。
本丸御殿跡
本丸内の常用井戸
そして、本丸東側は石垣が連綿と続いていますが、櫓がその上に繋がって建っていたと思います。本丸の入口であります「表鉄門」の東側から北側に向かって「包櫓」「太鼓櫓」「矢切櫓」「月見櫓」が建ち並び、本丸からは合坂(正面向きの階段ではなく、相対型の階段)で櫓に登る構造になっていました。
矢切櫓跡石垣
左から粟積櫓、月見櫓、矢切櫓跡(本丸南側から)、合坂が見える

月見櫓台
月見櫓台跡と十一番門跡(粟積櫓跡から)
「月見櫓」跡の北側には「十一番門」跡を挟み「粟積櫓」跡がありますが、本丸の北東を守る櫓であったので、櫓台の石垣も急勾配になっています。そして「粟積櫓」に続き「大戸櫓」「長屋櫓」の跡が繋がります。
粟積櫓台跡(粟積山の木材が使用されてのでこの名称に)
大戸櫓台跡
「粟積櫓」跡からは、津山藩の別邸庭園である緑豊かな「衆楽園」が臨めます。また、「衆楽園」からは、反り立った「粟積櫓」と「月見櫓」跡の石垣がクッキリと捉えることができます。
左から十一番門、粟積櫓、大戸櫓の各石垣(衆楽園前から臨む)
本丸へのもう一つの登城道を逆に下っていく入口には、「七間廊下」の脇の「裏切手門」があります。「裏鉄門」跡を通過すると正面には「十三番門」跡があり、そこから西側に方向を変えると、正面左手に「長櫓」「小姓櫓」「色付櫓」の各櫓台の石垣が見渡せます。
七間廊下跡(手前)越しに天守台
裏切手門跡(裏鉄門跡から)
奥が裏鉄門跡(裏切手門跡から見下ろす)
本丸北側石垣(この上に涼櫓があった、十三番門跡から)
裏中門内跡から小姓櫓跡、長櫓跡の石垣
「裏中門」の石段を降りて「裏下門」の石段までの空き地から振り返ると、今度は手前から「干飯櫓」「道明寺櫓」「荒和布櫓」「麦櫓」の食料品を保管していたであろう名前が付く櫓群の石垣が並んでいます。
裏中門跡、正面は小姓櫓跡
荒和布櫓跡、奥の石垣は麦櫓跡
荒和布櫓跡、麦櫓跡(奥)
「干飯(ほしい)」とは水分に浸したらご飯になる保存食、「道明寺(どうみょうじ)」とは和菓子の原材料の粉類、「荒和布(あらめ)」はコンブ、そして文字通りの「麦」、江戸時代には現在でいう災害非常食的に保存されていたのでしょう。
更に、「裏下門」の脇にも「紙櫓」という物資の名前が付いた櫓があり、西側には「肱櫓」「白土櫓」「塩櫓」「昇櫓」「長柄櫓」が二の丸沿いに建ち並んでいました。
裏下門跡(奥の石垣は荒和布櫓跡、左に道明寺櫓跡)
紙櫓台跡(左)下から裏下門跡を見上げる
肘櫓台跡(裏下門跡から)
白土櫓跡石垣
長柄櫓台跡
「裏下門」から石段を降りると正面に「厩堀」が、その北側には「薬研堀」が並び、「裏門」の守りを強固にしています。
「厩堀」
「薬研堀」(水面下はV字に)
「津山城①~③弾」で、鶴山(つやま)に築かれた城郭建築跡群を見てきました。
明日は、津山城の北側に造られた「衆楽園」とその西側に広がる城下町に足を延ばしたいと思います。
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