本日はいよいよ、「津山城岡山県津山市)を登城していきます。本丸への登城ルートは主に2通りありますが、南側の三の丸から「表中門」を通り二の丸経由で進みます。

 

二の丸から復元備中櫓(望楼型、2005年復元)

 

津山城は、本丸が宮川の断崖にある梯郭式平山城ですので、曲輪毎に殆ど石垣が積まれています。三の丸は、二の丸を南と西側で包み込んだ形になっていて、三の丸の石垣が見られます。所謂、一二三段の石垣が構築されています。

 

城内建築物配置図

三の丸への階段

 

三の丸跡へは「冠木門」跡から入ると、その北側には広大な「表中門」跡の階段が拡がっています。「表中門」跡の手前東側の三の丸跡には、現在、「鶴山館」という建物がありますが、それは、明治38年(1905年)に、藩校である「修道館」の講堂を移築してきたものです。

 

表中門跡正面

鶴山館(藩校・修道館の講堂)

 

そこからは、北側に「見付櫓」跡の櫓台石垣、「表中門」跡の西側には「鉄砲櫓」の櫓台が見られます。

 

見付櫓跡の櫓台石垣

鶴山館から復元備中櫓と二の丸鉄砲櫓跡石垣(左)、弓櫓跡・辰己櫓跡(右)

 

そして「表中門」跡に戻りますが、大きな階段の右手入口から二の丸跡に入ると「玉櫓」跡がありますし、階段を上り付き当りを左側に折れますと、「四足門」跡があります。お城では薬医門や高麗門が多い中で、珍しい四脚門が建っていたと思われます。「四足門」を潜ると二の丸跡が拡がります。

 

玉櫓跡(忠魂碑がある)

四足門跡

二の丸跡

 

更に折り返えして進むと「切手門」跡と石段があり、その右手には門に睨みを利かすべく櫓が置かれていました。「弓櫓」は、築城当初は門を守る役割を担っていたと思われますが、平和な時代に入り倉庫として使用され”弓”を保管する倉庫に成り下がってしまったと思います。この後にも、櫓名に”色々な保管物”の名称が付いた櫓が出てきますので、またその都度お話します。

 

切手門跡

弓櫓跡と切手門跡

 

「切手門」を上がり、左へ左へと折れると「表鉄門(おもてくろがねもん)」跡の石垣を見ることができます。当時は、この門は櫓門にして上階も本丸御殿の一部で玄関式台として使用されていたようです。本丸の中は所狭しと御殿の建物で一杯であったようです。そして「表鉄門」から東側に「到来櫓」、「備中櫓」が続いていました。

 

表鉄門跡

 

「備中櫓」は、天守に次ぐモニュメント的な建物であったようです。内部は御殿建築、藩主或いはその家族に限られた空間となっていて、1階には御書院の間や茶室が、2階には上段の間が備えられた空間でしたが、壁に狭間のある部屋も用意されていました。当櫓は、2005年に木造復元され、その裏側には土塀も復元されています。

 

復元備中櫓(内部は御殿建築、藩主或いはその家族に限られた空間)

復元備中櫓 (1階御書院の間)

復元備中櫓 (1階南側のお茶席七畳)

復元備中櫓 (2階座敷上段の間)

復元備中櫓 (狭間のある部屋)

 

「備中櫓」からは、「五番門」「六番門」を抜けて天守曲輪へ入ることができます。天守曲輪には、現在天守台が残り地階から入る構造となっています。

 

復元「備中櫓」から「天守台」までのルート上に構えた「五番門」跡、「六番門」

五番門跡と復元土塀と控柱

 

天守」は無破風層塔型で、五重五階で四重目だけが「板葺屋根」という特異な形式でした。その天守は幕末・維新迄残っていましたが、明治7~8年頃に撤去されました。

 

「津山城内絵図」(城内にて掲出分)

 

「天守台」は「打込接・乱積み」で、出入口は真直ぐに入れないで折れを採用、しかもまずは「天守台」の地階(穴蔵)へ入り、そこから石段で1階へ上がる構造となっていました。

 

「津山城 天守台」(打込接・乱積み)

「津山城 天守台」(石段を上がり右に折れる)

「津山城 天守台」穴蔵への入口、奥は1階への石段

 

現在は、立派な「天守台」はそのまま残され、穴蔵内には礎石が、周囲には石塁が残されています。

 

「津山城 天守台」穴蔵内には礎石が残る

「津山城 天守台」から穴蔵を見る

 

また「天守台」の周辺は石塁や門で区画されていてそこに至るまでのルートも複雑になっていて軍事的な強化が施されています。

 

「津山城 天守台」の南東には「ハ番門」跡

「津山城 天守台」の南側には石塁とその上に復元「土塀」

 

「天守台」1階部分からの遠望は津山市内を一望できる素晴らしい光景です。

 

「津山城 天守台」台上

「津山城 天守台」から津山市内を一望

「天守、備中櫓、長局」の古写真(津山城の案内から)

 

ところで、1936年に産業振興大博覧会がこの津山城跡で催されましたが、その時に実物の三分の二の大きさで張りぼての天守がこの天守台の上に造られましたが、明治時代初めの写真とは全く異なる、千鳥破風が一杯付いた模擬天守でした。

 

1936年の産業振興大博覧会で建てられた張りぼての天守

 

今宵は、ここまでとして、明日以降は本丸周辺に貼り付いていた各櫓を見ながら、西側にある「裏中門」を下りていきたいと思います。

 

 

 

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