御三家系松平家のお城訪問は、昨日でひとまず終了しました。今日からは、徳川家康の次男で、当初豊臣秀吉の養子になって「秀」の字を貰って名前が付けられましたが、その後秀吉に子供ができたことから、結城家へ養子に出された「結城(松平)秀康」の系統の松平家のお城を訪ねていいきたいと思います。

 

「結城秀康」は、関ケ原の戦いの時に、家康から北方の上杉景勝に睨みを利かせておくよう命じられ、戦勝後には下総結城から越前北の庄68万石に加増され移封されました。そして、1604年に結城姓から松平姓を名乗ることが許されたという経緯を持っています。

 

福井城天守台跡石垣

秀康の息子たちからできた松平家には5家がありそのお城には、次の各お城があります。

 ①長男「忠直」の子孫 津山城(岡山県津山市)10万石

 ②次男「忠昌」の子孫 福井城(福井県福井市)32万石

 ③三男「直政」の子孫 松江城(島根県島根市)18万石

 ④五男「直基」の子孫 前橋城(群馬県前橋市)17万石

 ⑤六男「直良」の子孫 明石城(兵庫県明石市) 8万石

 

当時、これだけの男子がいて、それぞれに遺産分与すれば、領地が小さくなったでしょうが、後継ぎの心配はなさそうですね。

 

津山城 復元備中櫓(天守に次ぐシンボル性高い櫓)

松江城 天守閣(国宝)

厩橋城(前橋城)の車橋門跡、前方は馬出しになっていた

明石城 巽櫓(重文)

更には、

福井藩の支藩として

 ⑥糸魚川陣屋(新潟県糸魚川市) 1万石

松江藩の支藩として

 ⑦広瀬陣屋(島根県安来市)    3万石

 ⑧母里(もり)陣屋(島根県安来市)1万石

 

①~⑧まで全て合算すると、石高だけでも90万石程の生産高があり、松平秀康系は大きな派閥だったんでしょうね。

 

糸魚川陣屋の土塁(白嶺高校東側)

広瀬陣屋 藩邸跡(現 社会福祉センター)

母里陣屋 藩館跡に建つ伯太(ハクタ)中学校校舎

 

長男の「忠直」は、大坂冬の陣では失敗があったので、それを挽回すべく大坂夏の陣では目覚ましい戦いをして真田幸村を討ち取るなどしましたが、論功褒賞が領地拡大ではなく「茶碗」だけだったということに不満を持ち、幕府に対する不満も大きくなって参勤交代をしなかったり、家臣への乱行が目立つようになったので隠居を命じら、更には豊後の国(大分県)へ配流されてしまいます。

 

エピソードの多い「忠直」に纏わる小説として、特に有名な菊池寛の「忠直卿行状記」を始め、『列藩騒動録』の「越前騒動」、『おかしな大名たち』の「かなしい暴君ー越前宰相忠直」等多数出版されていますので、一度ご覧になってみてはいかがでしょうか。

 

以上、松平秀康とその系統の松平家についての成り立ちを、バクッと説明をしましたが、いよいよ明日から、そのお城を順番に訪ねたいと思います。

 

ただ、その中で、福井城と明石城は、「天下普請」で築城されたお城ということで、以前に登場させましたので、このシリーズでは割愛したいと思います。