本日は、御三家水戸系松平家の居城であった茨城県笠間市にある「宍戸(ししど)陣屋」を訪れます。
徳川家康の十一男頼房の七男である松平頼雄が1万石で、宍戸城だった所へ陣屋を設けて藩庁としました。この宍戸城は、戦国時代には佐竹家のお城であり、関ケ原の戦い後には秋田家のお城になりましたが、秋田家が三春城へ移ったのでその跡を利用した形になりました。
幕末には、「天狗党の乱」の鎮圧に失敗したことから、藩主であった頼徳は幕府から切腹を言い渡されるという不名誉な事件がありました。
現在は、JR水戸線の宍戸駅前から南側一帯が、陣屋跡といわれていて、その中で少し小高い所が陣屋の土塁で、その上には末廣稲荷神社が建っています。そして、陣屋跡碑や説明板が設置されていて、分かりやすくなっています。
土塁上に建つ末廣稲荷神社
末廣稲荷神社下の土塁
その説明板には、長屋門形式の陣屋表門が近くに移築されている旨と写真が掲出されています。見に行きたかったのですが、3~4Km位離れた場所でアクセスがなかったので行けず残念でした。
陣屋表門(県指定文化財、笠間市土師のS家の門に現存、説明板の写真より)
末廣神社の裏から東南側一帯の畑地には、土塁があちらこちらにもっこりと残っています。
末廣稲荷神社の東側の土塁
古城内南東の土塁
宍戸駅は、笠間駅の一つ水戸駅寄りで、当時は、宍戸陣屋の西側には、笠間城があり城主も永井家、井上家、浅野家、松平戸田家、牧野家等の譜代大名が次々に入れ替わり入城しましたが、譜代大名で8万石の各藩主と御家門ながらも1万石しかない藩主とでは、どちらが遠慮したのでしょうねー
やはり、1万石でも、徳川家康の十一男の家系がモノを言ったのででしょうか・・・
笠間城 八幡台櫓(現 真浄寺七面堂-県文化財)
笠間城内の八幡台櫓跡と碑(ここに、上の写真の八幡台櫓があった)






